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離合-りごう-☆9
光を掴む
またいつもの癖で、朝の光を掴もうと左手を思い切り伸ばして広げる。
今までなら、空虚な気持ちと残滓がその手に残る感じがしていたのに…。
なんだろう?
最近光の中で輪郭が淡く世界と溶け込んだ左手が、暖かい温もりを感じるようになった事に気づいていた。
腕を折られてからだな…
ふふ…と笑みが自然と溢れた。
元来本気で怒る事も少ないが、あまりに頭にくるような出来事があったとしても、怒っているうちに、怒っている自分がなんだか滑稽で可笑しくなってきてしまって、笑ってしまうんだよな。
自分では、締まらない性格だと常々呆れているが、こればかりはどうしようもないらしい。
今回だって、めちゃくちゃ腹を立てているのはフェード達だったが、ケンは骨を折られた事になぜか呆れはしたものの怒るという感情はほとんど生まれなかった。
ジェルを失ってからというもの自らの左手に、無意識に呪いの鎖をかけ続けていたようだ。
腕をへし折られたと同時に、その鎖も断ち切られた。
左腕を優しく摩りながらそんな気持ちになっていた。
#1
無事に調査隊の任務が終了を宣言されたので、隊員たちは各々本来の帝都システム内のあるべきポジションに戻って行く事となった。
多くの者は、その日のうちに太陽系からそれぞれの道へと散って行った。
ケンや、各セクションの責任者は関係者への挨拶など、後始末が終わっての帰省となる。
ただ、ケンは博士の誘いもあり休暇という名の接待に持ち込まれてしまい、帰る機会を逃していた。
朝から博士に連れられて行った大阪での博覧会とやらは、ひどい混雑だった。
人気のアニメらしく、若い少年少女が思い思い好きなキャラクターのところに行っては、写真をとったりしてはしゃいでいる。
"帝都"では見る事のないイベントだったので、年齢が近いような格好の警護役のフェードも雰囲気に呑まれて気分が高揚している風であった。
インビジブルスーツで密かに会場入りした博士たるや、いつの間にやら好きなコーナーへと去って行ってしまい結局皆別行動で出口待ち合わせと決めた。
背が高く目立つ容姿のケンは、外国人コスプレーヤーと間違われて、カメラをやたらに向けられてしまい、辟易してさっさと会場から退散して、少し離れた川縁の橋の欄干に背をもたれかけて休んでいた。
青空にゆったりと白い雲が浮いている。
風は爽やかで、こんな時間は久しぶりだ。
大阪の喧騒も懐かしくなるだろうなと、もうすぐ去るこの地に思いを馳せていたその時、目の前を背が高く黒髪をなびかせながら俯き加減で足早に歩く、猫背の女が視界に入った。
(あれは確か…マトリと言ったか?)
ケンは何気なく、自分の腕をへし折った女の背を追っていた。
#2
猫背の女は、足元しか見ずに突進する様に歩いていたかと思ったら、川沿いに並ぶ屋台のひとつにいきなり頭を突っ込んでいた。
しばらく店主とぼそぼそと話したあと、猫背の女は『カオナシ』みたいにそこでジッと立っている。
面白いな…と観察しながら、博士お勧めのそのアニメ作品の鮮烈な色彩がふと頭をよぎった。
強烈な印象を彼に残した作品だったので、よく覚えていた。
よもや『カオナシ』に腕を折られるとはなぁと、ケンはやっぱり可笑しくなってきた。
しばらくすると、『カオナシ』(密かにケンはそう呼ぶ事に決めた)が、熱々の湯気をだしている器を左手に載せて屋台から顔を出して戻ってきた。
顔は伏せているのに、心なしか上機嫌そうな足取りで、右手にもった割り箸をトコトコと振っている。
ケンの目の前を『カオナシ』が通りすぎようとした時だった。
「よう!マトリ!」
いきなりの呼び捨て⁉︎ でびっくりとして顔を上げたマトリは、それこそ幽霊を見たかのように、益々びっくりして買ってきた食べ物を取り落としてしまった。
ケンは咄嗟にそれをキャッチしたが、その中のひとつが転がって道路にぽてんと落ちた。
「あ、悪い!驚かせたな⁉︎」
キャッチできてほっとしたようなケンの顔を、ただただ呆然と見て固まっていたマトリだったが、我に返って足元のまあるい食べ物を見遣ると、泣きそうな顔をしてしゃがみ込んだ。
じっと落ちたその塊を恨めしそうにを見ていた、と思ったら、何を思ったのか落ちたそれを掴んでぽんと自分の口の中に放り込んで、しゃがんだままもぐもぐと食ってしまった⁉︎
「え〜!!!そんなもん食って大丈夫か⁉︎⁉︎」
キャッチした器には、まだまあるく焼いてあるいい匂いの食べ物がいくつか並んであった。
その上に青っぽい粉がかかって美味しそうだ。
ケンはまだ湯気の立つ器を、しゃがみ込んだままの『カオナシ』に差し出した。
彼女は素直に受け取ると、そこでしゃがんだまま割り箸を口にくわえてパキン!と割ると、その場でそれをぱくぱくと食べ始めた。
訳の分からないケンは、『カオナシ』の横に一緒にしゃがんでその様子を眺めていた。
「美味そうだな…」
そう思った心の声が漏れ出てしまったのか、『カオナシ』が持っていた割り箸を逆さまに持ち替えて、丸いその食べ物のひとつに箸を突き刺して、ケンの口にいきなり押し付けてきた⁉︎
ケンは反射的にパクッと口で受け取ると、外はカリッとしているのに中はふわとろっとした熱々のものが入っていて、香ばしい匂いとともに、おいしさが口の中に溶けて広がった。
またとろっとしたその中に、くにゅっとした塊があって弾力性に富み噛みきれず、もぐもぐ噛みすすむと、あとからまたじわっと味わいが出てくる。
「これ、めっちゃくちゃ美味いなぁ!!!!!!」
子どものように素直に喜ぶ顔を見て、マトリはまったくこの男はこういうところは変わっちゃいないなと、自分を棚に上げて呆れてしまった。
それから『カオナシ』は次々と残り全てを彼の口に押し込むと、ぱん!と立ち上がり、振り返る事もなく、一目散に人混みの中に消え去ったのだった。
残されたケンは、口一杯に入れられた食べ物をもぐもぐさせながらゆっくり立ち上がると、
(面白い奴だなぁ…ふふふふ)
とまた可笑しさが込み上げてきて、今度は本当に声を出して笑い転げてしまったのだった。
変な外人と、ちょっと通行人が彼を避けて通って行ったが、そんな事も気にならないほどケンは笑った。
#3
展覧会を堪能したフェードと、その後程なくして出てきたアイン博士と合流したあと、あの食べ物の謎が解けた。
フェードも食べたがったので、もう一度買いに行くと、博士がたこ焼き屋はいくつか並んでいるが、『カオナシ』の選んだお店のが一番美味いと教えてくれた。
夜は久しぶりに、マナブとルイが今度はご馳走してくれるというのでマナブの家に招かれる事になっていた。
マナブがその際に、自分の地球上での家はどのエリアにあるかと謎かけをしてきたので、ケンはちょっと考えて、イギリスと答えた。
マナブはちょっとばかり拗ねた顔をして、スコットランドだよと、言い返してきたが当たらずとも遠からず。
「変なとこだけカンが鋭い、そういうところがお前の嫌なとこなんだよ」
と珍しく捨て台詞を吐きながらも、今夜おいで待ってるからと笑いながら準備の為に地上に戻っていった。
ケンは博士達とファンタジアに戻ったあと、まだしばらく約束まで時間があったので新しい仕事をこなそうと執務室に行こうとしたところで、後ろから不意におもいっきり耳をつかまれた。
そんな事をする奴はこの世にそういないので、振り返ると予想通りの二人が抱きついてきた。
「もー!心配するでしょうが」
「お前だけ休暇なんてずるいぞ〜!誘えよ、前みたいにさ」
「何子どもみたいなこと言ってんだよ、ロバート!お前らこそ、何でこんなとこに…???」
「あなただけ楽しそうにしてるの、気づいてないとでも思ってるの?」
「楽しそう⁉︎」
どうやら、自分が3日寝ている間にフェード達によって、マナブやルイもここに居ると報告されていたらしい。
間髪入れずにユリが二人に連絡したのは、想像に難くない。
「さあ!久しぶりにマナブのご馳走を頂きに参りましょう!」
「詳しい言い訳は、その時聞いたげるからね。ケン」
ああ、そういうことね…。
と腑に落ちたケンは、仕事は後回しと覚悟して先導する二人に従った。
#4
マナブの自宅は、スコットランドの古城だった。
シンと冷えた夜空に、月の光が丘の上に建つ城を照らし出して、その美しい姿がシルエットになって傍らの湖に落ちていた。
「らしいわね。まったく」
城の調度品などを誉めてまわりながら、ユリはその整った顔だちに合わせた真紅のフォーマルドレスが、クラッシックな室内によく映えるのも味わっていた。
マナブのセンスを先読みして準備したらしいが、流石外す事はないなと一同は感心して見ている。
五人がこうして一堂に会するのは、数十年ぶりだった。
しかし気心が知れた彼らにとっては、いつものようにすぐに打ち解け合って近況などを報告しつつ、マナブの手料理に舌鼓をうったりスコッチを飲み比べたりしながら、朝方まで飽きる事なく話しをしていたのだった。
明け方近くになって、朝日を見ようとテラスに出たケンの背をユリが静かに追った。
「とても元気そうね…」
「そうかもしれない。何だか自分でもよく分からないんだけどね」
ケンは率直に答えた。
「何がかわったのかも分からない。穴は空いたままなんだ…。なのに何だろう?気持ちが少し軽くなったみたいだ」
「頭でもついでに打ったのかしらね?ふふふ…」
ユリも腕を折られたエピソードでは、呆れながらも大爆笑してしまい、その治療者の事が気になったようだった。
「『怪我の功名』って言うらしいわね。まあ何にせよ、ここは不思議と魅力的な世界ね」
と地球についての、ユリの見解を吐露した。
これから"帝都"に戻って、調査に基づいて判断を下さなければならないだろうことを見越しながら。
日々地球人達は、争いを繰り返している。
それがこのところ非常に危険なレベルにまで到達してきていることを、"帝都"はよく理解している。
地球人もそれは十分承知していながら、坂道を転がるように奈落へ落ち続ける。
彼らの短すぎる命が、進歩を妨げ、刹那に生きる事を善として、自己中心主義を推し進めてしまっている。
おそらく近い将来、自滅するだろう。
その時、ここに住む"帝都人"はどうするのだろうか?
どうしたいのか…。
その答えを求めて、今回の調査隊が"帝都"から、彼らによってわざと呼び込まれたと考えるのが妥当だろう。
"帝都システム"が介入すれば、救える世界もある。
が、それではこの世界を創りかえる事になってしまう。
力を持つ者が、弱時を滅亡させるのと何ら変わらないのではないか。
世の中のバランスを保つ仕事というのは、なかなかに難しい。
彼らは無常を感じながらも、ひとときのプライベートな時間を心から楽しんだ。
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