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「あら、御機嫌よう。芙蓉の分家の翠さん?」
学舎からの帰り際、そんな声に思わずうっと肩を揺らした。
道の端に寄りつつ、己の存在を誇示するかのようにシャラシャラと鈴を鳴らす日傘を傾ける姿とその群れに頭を下げる。
「ご機嫌麗しゅうございます、龍刹様…」
卵を落とさないよう抱えつつも膝を折り、深く頭を下げたまま祈るように手を合わせて目上の者に対する挨拶を執り行う。
この偉傑華の地には、総領の榧ノ宮を筆頭にいくつかの雅族と呼ばれる特権階級の家柄がある。
その一つが眼前に現れた御令嬢、蘭姫の生家、龍刹家である。
龍刹家は羽偉の里長の一族であり、この地に存在する火、水、風、地の四大妖術の内、火の妖術を得意とすることで有名である。
三十年前程までは葛之葉と言う水の妖術を得意とする一族が取り纏めていたそうだが、かつて起きた傑蓮との諍いによりその一族が滅び、先代総領の時代に龍刹家が里長の任を受けたそうだ。
「嫌ねぇ…!同い年なんだから、もっと気さくに挨拶して良いのよ?」
そう言って、彼女はコロコロと微笑む。
しかし翠にしてみれば、そんなことが出来る訳がないし、相手がそれを知った上で誂っていることも気付いている。
翠の家は階級としては末端とされる狩人の家系で、歴史はあるが泥臭い仕事を生業としてきた。
父の生業である薬師も怪我や毒に接することの多い狩人の仕事から派生した物として、里では低俗な職として扱われている。
「蘭様ったら、こんな下民にもお声を掛けるなんて、何とお優しい…!」
「きっと、次の御寮様は蘭様ね!」
俗に言う取り巻きの娘達はこちらを嘲笑いながら蘭姫を讃える。
御寮様とは榧ノ宮の花嫁のことで、今年の初春に十三を迎えた蘭姫は当然のように王竜の伴侶の卵を貰い受けた。
以来、その敬称は周囲に吹聴する為の常套句になっている。
(この茶番、早く終わってくれないかな…)
いつもの光景ながら、翠は早くこの場を立ち去りたかった。
これから家の裏にある薬草園に行って、頼まれている薬草を取ってこなければいけない。
薬草を乾燥させたり調薬にするには時間が掛かるし、時には急患で母から受け継いだ治癒の妖術を受けに来る患者もいる。
母が生きていた頃よりは患者は減ったが、彼等の期待に答えるためにも暇を潰している場合ではない。
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