一章 影の病

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「姫様! そんなに急いでどうするおつもりですか。まずは皇帝陛下にお会いしてから皇族揃って出席するべきです。それに、この式典は姫様の誕生祭半年前を記念したもの。主役が突然現れては皆困惑してしまいます」  一人足速に会場に向かう姫の後をオルディボが追う。銃を持つ複数人の兵士達も、姫の歩みを止めることが出来ない。 「駄目よ。お父様が来てしまったら私は主役になれない。それに周りの人達も怖くて誰も私に話しかけられなくなるわ。……たまには同年代の子とも、お話ししたいのよ」  その姫の表情はどこか寂しげなものだった。思えば、最後に社交会に参加したのも、もう半年も前のことだ。その間、宮廷内部の人間以外とは一切口を交わしていない。 「分かりました。ただし、あまり目立たないように入場しましょう。護衛の数も最小限に抑えますが、決して私からは離れないように。警備が万全とはいえ、姫様の命を狙っている輩がいないとも限りません。それと皇帝陛下には私の判断であると説明します。姫様の独断だと思われては、また面倒なことになりますからね」  オルディボは幾つかの兵士に命令を出すと、兵力を四人にまで減らした。 「あら、随分と気が効くのですねオルディボ。てっきり、賛成してもらえないものかと思っていましたのに」 「何年一緒に居ると思っておられるんですか。私は姫様が降誕なさった日から今日まで、ずっと側にいるんですよ。少し言ったくらいでは姫様が止まらないことくらい心得ています。それに、こういう時は無理に止めるより勝手に止まるのを待つ方が私の仕事も減って楽なんですよ」  最後に本音が漏れたようだ。姫は「良くわかってるじゃない」と一言添える。 「姫様、今から入場しますが、最後にお酒はほどほどにして下さいね。ただでさえ、多くの貴族達が集まっているんです。下手をすれば皇帝陛下の顔に泥を塗る事になります」  二人の兵士が小柄な門をゆっくりと開く。思っていた通りだ。会場は既に無数の貴族達で溢れかえっていた。と言っても、ほとんど見慣れた顔ぶればかりではあるが。 「オルディボ閣下、それにリアナ皇女…… ご、ご、ご入場はまだ先のはずですが」  メイドが一人、困惑した様子で話を始めた。 「気にしなくて良い。私の判断だ。すでに話は通っている。それより、そのワインはいただいても良いのかな? どうにも喉が渇いた。私と姫様の分をもらいたい」 「もちろんです」とメイドは白ワインの入ったグラスを二人に差し出す。 「どうかなさいましたか姫? ワインがお口に合わないようでしたら代わりの物を」 「違いますわ。ただ、今日の会場が随分と物静かなものだったので少し驚きました」  姫の登場にも目もくれず、周りの人達はある一点に視線を送る。視線の先には、全身を赤い液体でビショビショにされ跪く男と、それを不敵な笑みで赤ワイン片手に見下ろす一人の男がいた。周りには、それを愉しげに見物する観客達。 「オルディボ。アレは誰かしら」 「はい。立っておられる方がルーティック侯爵。下は…… すみません。私にも分かりませんが、見る限り、おそらく底辺階級の者でしょう。今回の社交会は帝国貴族の方々に差別なく招待状をお送りしています。例年であれば、ああいった底辺貴族の方々は参加されないはずですが…… 何か気になることでもありましたか?」  オルディボはごく自然に言ってみせた。跪く男を会場の人どころか、使いのメイド達ですら誰一人助けようとしないあたり、本当にそうなのだろう。しかしどうも不快だ。一体、何様のつもりなのだろうか。姫はオルディボからグラスを取り上げると、中に入ったワインを自身のグラスに移す。 「ルーティック侯爵…… そういえばいましたわね、そんな人」  姫は徐にルーティック侯爵の下へ近寄る。それに気付いたのか周りの観客達は徐々に静まり返る。まるで、悪魔でも見ているかのような表情で。 「ほら、早くしろ染みてはたまったもんじゃないからな」男が言った。姫は上機嫌な、その男の頭上から持っていたグラスを僅かに傾けた。その瞬間、会場が一瞬にして静まり返る。突如、男が不快な笑いと共に背後を振り返る。
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