一章 影の病

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姫は真剣な顔つきでオルディボに問いかける。それと並行に枕元へ腕を静かに伸ばす。オルディボは少し戸惑った表情で姫に応えた。 「ええ…… それは、もちろんです。姫様の身を命を掛けてお守りするのが私の役目です。相手が誰であろうと必ず守って見せますので、どうかご安心下さい」  姫の表情に僅かに笑みが蘇る。 「そうよね。なんだかんだ小さい頃、貴方に何回も助けられてたわね」 「そうですよ。覚えてますか、確か姫様が十二の時、階段付近でミーシャ様と一緒に遊ばれていて誤って階段から突き落ちたこと。あの時、真っ先に姫様をお助けしたのは誰でしたっけ?」自信満々に言ってみせる。 「あら、オルディボ。この私に恩を着せようなんて思ってないでしょうね? 貴方は仕事をしただけ。そんな自慢気に話しても貴方の評価はこれっぽっちも上がりませんのよ?」 「おっと。あの時はあれほど泣きながら私に感謝していたというのに、姫様も良い意味で大人になられたんですね」 「あら、言うようになったじゃないオルディボ。でも今のは聞かなかったことにしてあげる。聞いたらもっと機嫌を悪くして、もう一生部屋から出なくなるかもしれないから」  オルディボは「感謝いたします」と軽く頭を下げる。そのやりとりは側からみれば仲の良い友人同士の会話に見える。 「ねぇ、信頼して良いのよねオルディボ……」  姫は枕元に隠した伝書に手を掛けた。こんな物を持ち出したことが知れたらどうなるか…… 皇帝の私物を勝手に持ち出すことは、たとえ家族であろうと簡単に許されることでは無い。姫の表情が強張る。 「ねぇオルディボ。そう言えばさっき、こんなモノを見つけたんだけど……」 「私は皇帝陛下に忠誠を誓った身です。決して姫様を裏切るような真似はしません! どうぞ信頼して下さい」その言葉に嘘は無かった。  手が止まった。姫は伝書を握りしめながらも、それを枕元から離さない。そうだった…… この男は、お父様に頼まれて仕方なく私の護衛をしているだけ。本気で私のことを助けたいなんて思ってなんかない。姫の呼吸が乱れる。 「姫様、どうかしましたか? まさか、本当に体調が悪くて……」 「出てって…… 出てって…… 今日はもう良いから。もう寝るから、早く部屋から出て行ってッ!」  姫はオルディボに強く当たった。顔を枕に落ち着け、ベットに寝そべる。 「分かりました…… 今日はもう休んで下さい。皇帝陛下には私から伝えておきますので。それと、もし何かあれば外にミリヤが待機しておりますので、そこまでお願いします。では、お休みなさい姫様」  オルディボは、ゆっくりと腰を上げる。救急箱を手に抱え姫に背を向けたまま部屋を後にした。今日は、もう寝よう…… きっと悪い夢を見てるだけ……     ——狭く薄暗い部屋で男が一人、本を手に文書を眺める。僅かなランプの光を頼りに見飽きた文書を何度も何度も読み返す。 「あなた、まだいらしたんですか? もうとっくに真夜中ですよ。皆さまも帰られましたし、あなたも休んではいかがですか?」 「なんだ、まだ起きていたのか。とっくに寝ているものだと思ったが随分と多忙なのだな」皇帝は本から視線を逸らすことなく応えた。 「まさか、あなたに比べたら大したことなんてありません。皇帝の妻として恥じぬ様に日々、勉強は欠かせません」皇后は和かに応えた。 「なるほど。それで? 私は、まだしばらく残ってやることがある。それが終わるまでは床にはつけない。お前は、どうするんだ?」皇帝は、ジッと文字の一点を見つめる。 「なら、私もしばらく残りますわ。あなたが寝るまでは皇后として、この国の為に何か出来ないか考えてみます」 「そうか。それは結構なことだ。なら、また一つ寝る前に覚えて行くと良い。この宮殿内には一つだけ如何なる者も皇帝たる私の許可無く出入りすることが許されない部屋が存在している。それは薄暗く小さく宮殿内に相応しくない作りをしている。しかしだ、もし仮に許可無く、指先一つでも侵入したことが、この私に知られたら…… その日が、その侵入者の命日となるだろう。ところで、なぜいつも、お前が私を見に来るたびに私は、この本から目が逸らせなくなってしまうんだろうな。いつも不思議で仕方ない」  その時、皇后は僅かに怯えた様子で右足を、ゆっくりと部屋の境界線の外に追い出した。  皇帝は読んでいた本を静かに閉じると、視線を皇后に向けた。 「それと、一体いつから、この部屋には自前のランプが置かれるようになったんだ? まったく…… 少しは学んでほしいものだ。しばらくの間、この部屋の鍵は私が預かっておく。くれぐれも勝手な真似はするなよ」皇帝は一つため息を吐いた。   「"ランプ……? あなたのではないんですか?"」    皇帝の表情が強張る。咄嗟に持っていた本を机の上に置く。 「何…………?  ッ!?」  足りない…… 何か足りない…… 「どうかなさいましたか?」皇后が心配そうに見つめる。 「何を見た…… イザベラ、ここで何を見た…… いや。まだ少し早いか。一つ、最後に部屋の鍵を使ったのはいつだ?」 「鍵ですか? えっと…… あなたが以前ここに寄ってから一度も金庫から出していませんので…… ゼロです……」 「それを証明出来る者は?」  皇帝は容赦なく畳み掛ける。 「レナード中将が金庫の鍵を持っていますので、そこに聞けば……」 「なるほど。上手いアリバイ作りだ。それなら何かあっても自分に責任が向かない。これ以上、お前を責めることも出来ない。早速、勉強の成果が出たようで何よりだ」  皇帝は何か考え込んだ様子でしばらく沈黙する。視線を落とし両膝を静かに折り曲げる。 「ちょっとあなた! 床に膝をついては服が汚れてしまいますよ?」 「そうだろうな。こんな埃だらけの床に服をつけておいて汚さずに出られるわけがない」  皇帝は、ただ無心にベッドの下を覗く。    "チュチュ"   「"マッ!!"」  途端、ベッドの下から飛び出したネズミは皇后の足元をくぐると、外へと逃げ出した。 「びっくりしましたわ。今度、一度掃除したほうが良いんじゃ無いですか?」 「フフッ…… フフッ……」  突如、不適な笑みを浮かべる皇帝。 「もー。笑い事じゃないですよ? 本当に一回掃除しないと……」 「まったく……  大きなネズミが迷い込んだものだ」
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