一章 影の病

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 ——「何?」姫が強い口調で応える。 「何、ではありません。朝から表情が暗いですよ? 今から皇后様との朝食です。以前の様な失礼がない様に……」 「分かってるわよ。ちょっと考え事してただけだから。ほら、見なさいよ。私くらいになると表情なんてすぐに変えられるのよ」  姫は満面の笑みを見せた。これで、感情がこもってないというのだから恐ろしい。 「ねぇオルディボ。お父様は……」 「皇帝陛下は、早朝に出発したはずですよ。幾つか予定が詰まっていた様ですから。昨日の件は私が伝えておきましたのでご安心ください」  姫は少し安心した様子を見せる。そもそも、お父様とは今まで一度も一緒に食事をとったことが無い。いつも、仕事を理由に、朝一番で宮廷を出てしまう。そういう人だ。  大扉前。兵士達が整列、一斉に道を開ける。先頭のレナード中将が敬礼を合図する。オルディボもそれに合わせて敬礼をする。  昨日も見た光景だ。というより毎日毎日見る変わらない掛け合い。そろそろ少しくらい略しても良いと思う。  扉が開くと、いつもの長いテーブルの前で皇后イザベラが立ちすくんでいた。どこか、落ち着かない様子で姫を直視する。いつもなら、あっちから話しかけてくるものだが、今日は無言を貫いていた。 「おはようございます、お母様。今日も良い天気ですね」 「おはようリアナ……」  姫は皇后と向かいになる様な位置に着くと、食事開始の合図を待った。和かに、その時を待つ。  しかし、皇后は一向に席につかない。ただただ、時間だけが過ぎて行く。何かを訴えかけるかのようにひたすら姫に視線を送る皇后。 「あの、お母様、昨日の件でしたら謝罪します。昨日はリアナも緊張し過ぎて上手く気持ちの整理が出来ませんでした。今度からしっかりしますから。食事でもいただきながら話しませんか?」  皇后の表情に変化はない。というよりさっきより表情が深刻になっている気がする。なんでだろう?   せっかく私から話をしようと言っているのに。姫は一刻も早く、この場から離れたいのか、どこか落ち着かない態度を見せる。 「お母様? 早くしないとせっかくの朝食が冷めてしまいますよ。早くいただいて、次のお仕事の準備をされたほうが……」   「"そうか、私への挨拶は不要というわけか。リアナ……"」    その場の空気が、一瞬にして凍り付いた。  聞き覚えがある。いや、たくさん聞いたことがあるわけじゃない。それでも、一度聞けば、二度と忘れるはずのない冷え切った声色。  男は、いつもなら誰もいないはずの長いテーブルの端で右手をテーブルに置いたまま、こちらに視線を送っていた。  その直ぐそばには軍服姿の兵士…… ちがうッ! あの勲章の数、紋章、帝国陸海軍の大将達だ…… 「お、お、お父様…… な、なんで…… 今日も、早朝から宮殿を出たと聞いておりましたのに……」  姫は、一歩後退すると、らしくもない慌てようを晒した。  おかしい…… お父様が、なんでここに…… 今まで、一緒に食事を摂ったことなんて一度だってなかったのに。  姫は、急いでオルディボに視線を向ける。が、オルディボもまた、どこか落ち着かない様子だった。 「私がいては駄目なのか?」 「いえっ! そんなことはありません!」姫は必死に否定した。 「そうだろうな。それと、そんなに慌てなくても良い。今日は私も休暇をとっている」  休暇…… お父様が…… そう言うと皇帝は右手の指先をテーブルに滑らせたまま、一人ゆっくりとゆったりと視線を逸らすことなく、姫の下まで足を運んだ。 「連絡が遅れてすまなかった。急遽、予定を変更したものでな。オルディボに伝えておくのを忘れていた。だから、あまりオルディボを叱ってやるなよ」 「は、はい…… しかし、今日はお父様にとっても大事な外交があるとッ……」  姫は息を詰まらせた。皇帝は突如として姫の髪をかき上げと、何も言わぬまま顔を近寄らせ髪の匂いを嗅ぎ始める。 「ふん…… 良く手入れが行き届いているな。しばらく見ないうちに、しっかりと大人になっていたのだな。やはりミリヤに任せたのは正解だった」 「あ、ありがとうございます……」皇帝の目付きが鋭利ずく。 「何? なぜ私に感謝するんだ? いったいいつ私が、お前を褒めた? なぜ、人の手柄を横取りする様な真似をする?」  皇帝は、いつになく強い口調で姫に詰め掛ける。 「申し訳ありません。そんなつもりは……」 「まあいいか。しばらく、ここに滞在するというのに、こんなことで揉めていてはキリが無い。ところでだリアナ。一つ聞きたいことがある。実は昨夜、私としたことが大事なモノを一つ無くしてしまってな。それがないと安心して仕事することが出来ないんだ。だから、今こうして休暇をとって失くし物を探している。なあ、リアナ。何か、心当たりはないか? こう、少し古びた多少大きさのあるモノなのだが……」  皇帝は右人差し指でテーブルをなぞる様に長方形の形を描いた。  姫の脳裏に昨夜の件が過ぎる。確かに、アレには今後の予定がギッシリと書かれていたのを覚えている。アレが無いと困るのは間違いないと思う。なら、あまりお父様に迷惑がかからないうちに正直に返した方が……  「あの、お父様……」  姫は言葉を詰まらせた。それは、雛を見守る親鳥のような優しいモノではなかった。一切の瞬きも無く獲物を狙う、猛獣の様な視線。なんで、なんで私をそんな目でみるの…… 「どうしたリアナ。何か心当たりでも?」皇帝は顔を近寄らせる。その瞳に映る自分の姿がハッキリと分かる。  間違いない。お父様の探し物を持っているのは今私だ。なら、早くそう言えば良い。  それだけなのに…… 口が動かない。また緊張しているだけで…… 違う、違う。緊張なんかじゃない。これは…… 『十二月二十六日、リアナ皇女の死亡を確認』 恐怖だ。 「リアナは…… リアナは…… 何も、知りません」  姫は決して視線を逸らさなかった。いや、逸らせなかったんだと思う。 「そうか、それは残念だ。本当に残念だ……」皇帝はどこか悲壮な表情を浮かべた。
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