一章 影の病

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「何を考えておられるんですか。窓辺は転落の恐れがあるから、あまり近づかない様にとあれほど注意したというのに…… もし、私が間に合っていなかったら……」  男の口調は最初こそ激昂したかの様に思えたが、次第に収まり、悲壮な面持ちを見せる。 「何よ! そのくらい知ってるわよ。ちょっと足を滑らせただけ、別にわざとじゃないんだから、そんなに怒らないでよ……」  姫は自然と視線を低くする。いつになく、弱気な姫を前に、男は表情を緩める。地に膝をつき、徐に目線を合わせる。 「申し訳ありません。少しカッとなってしまいました。しかし、先程の行為、とても見過ごせるものではありませんでした。どうか、ご理解のほど、お願いいたします…… そうだ! これ、お返しします。大丈夫な物なんですから無くさないようにして下さいね」  護衛はそう言うと、ポッケから取り出した姫のネックレスをそっと、持ち主の首に掛けた。姫は僅かに俯いた態度のまま一言「ありがとう」とだけ応えた。 「それと、姫様? 忘れないで下さいよ。これで、また借り一つですよ?」  護衛は優しい笑みを浮かべた。 「まったく。こんなタイミングで借りを作ろうだなんて貴方も策士ね。でも、良いわよ。何が望み? 一時間の休暇ぐらいなら考えてあげても良いけど?」姫は嫌味でも言うように応える。 「滅相もありません。私程度の者の一時間が姫様の一生に匹敵すると知れただけで大変嬉しい限りです。これからも護衛として、力を尽くして参ります」 「ねぇ! 貴方、一回ぐらい私に勝ちを譲ろうとか思わないわけ? 私、これでも一応この国の皇女なんだけど。なんで、そんなに饒舌なの? まあ、いいわ。とりあえず、やる事も無さそうだし、庭で時間でも潰しましょ。ただ、そろそろ礼拝の時間よね…… 教会の人達に見つからないと良いんだけど……」  正直、もうやり方すら覚えていない。 「何を、そんなに悩んでおられるんですか? 礼拝は約一時間、目をつぶって行うものですよ。仮に、教会の者が礼拝時に姫様を見つけたとして、私が教会法48条を代理行使し、その者を拘束、投獄すれば済む話です」  サラッと言ってみせた。多分、本気で言ってる。宮廷の外に出るべく、しばらく歩き回っていると宮廷内で目を瞑ったまま直立姿勢で、ぶつぶつと何かを唱えている付き人達を何人か見かけた。  皆、黒いフードのような物で体を覆っており、こちらからは素肌がまったく見えない。気付かないふりでもして、横を通り過ぎると、その瞬間だけ僅かに声が大きくなるのが分かった。多分、あっちも見えてるんだと思う。と言うか見ている。  ただ、私達を注意するよりも自分がサボっていることを悟られんとアピールすることにしたらしい。  なんとも、人間らしい。正直、一時間ずっと、ここに残って嫌がらせでもしようかと思ったけど、可哀想に思えてきたからやめた。 「姫様。ここから先は、皇居の敷地内といえど宮殿内と比べれば遥かに警備が薄くなっています。くれぐれも、私の目の届く範囲で行動して下さい。それと、万が一、私を見失った場合は、この大門の前に集合して下さい。私も3分は待ちます。しかし、それでも姫様の姿を確認できなかった場合には皇居内全域に警備を派遣して……」 「分かった、分かった! 分かってるから、もう早くしてよ」  大門を前に姫は言った。途中で話を遮られた護衛の男は、どこか不安を隠せない表情を見せた。ただ宮殿を出るだけで無駄な動作が多過ぎる。警備が薄い? それでも、そこらの貴族達の領地の何倍も安全だと言うのに。  だからこそ、私は知っている。これが私を守る為ではなく私を、この皇居から逃さないための警告であることを。ね? オルディボ。  控えていた兵士達が大門を開ける。最初に目に入ったのは緑ただそれだけ。地平線の彼方にまで届くのではないかと思うほどの広大な庭。宮殿に招くかのように規則正しく並べられら木々。どれも、とっくに見慣れた平凡な光景だ。 「ねえ、オルディボ。普通に歩いてても退屈なだけだから何か面白い話でもしてくれない? 別に期待はしないから」  姫は、素っ気ない態度で話す。いつも、庭に出た時はこうして時間を潰している。宮殿の周りを一周する様に二人は歩き始める。男はしばらく考え込んだのち、何か閃いたかのように口を開く。 「そうだ! 先程、姫様のネックレスを探しにダイニングルームに戻った時の話なのですが。ルカという使用人メイドの一人が我々のいない隙を見てか、残飯をつまみ食いしていましてね。そこで私が、何をしているのかと問いますとルカが応えたんです。コレは毒味をしているだけだとね。まったく、良く思いついたものです。流石にアレは見逃すしかないと思いましたね」 「そう…… それで、その話の何が面白いの」  姫は冷え切った態度で応える。 「退屈でしたか? 私には、とても面白い話だと思えましたよ。昔、姫様がトイレに行くフリをして、一人で夕食をつまみ食いしていたのを思い出しましてね。その時の姫様の言い分を覚えていますか? 夕食に毒が入っていないか確かめに行ったと。まさか、姫様直々に毒味をするなんて……」 「あなた本当に面白いわねっ! もう満足よ。少し黙ってなさい!」  姫は少し口早に言った。  男は笑いを堪えるかのように、そっぽを向く。しばらくすると、姫の部屋の窓が視界に入る。
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