一章 影の病

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「姫様!? どうされましたか? 何か問題でも……」  扉越しに聞こえる緊迫感のある肉声。鳴り響く扉を叩く音。その声に姫の動きが止まる。持ち上げた椅子をゆっくりと地に付ける。  皇室典範第四十三条、緊急時を除き、皇族以外の者が許可なく皇族の寝室へ出入りすることを禁ずる…… ハァ…… 部屋の窓が割れたら流石にオルディボも走って来るわよね。 「大丈夫…… ちょっと気が立ってただけだから。大丈夫だから……」 「そうですか……      ああ…… 今日はもう駄目か……」  男は聞こえてないとでも思ったのか、最後に本音を吐いた。多分、ワザとだと思う。  姫は途端と冷静になる。ベッドに腰掛け、一冊の本を手に取る。マジマジと表紙を眺める姫。ふと、一つの考えが脳裏を過る。単純明白、この問題を解決する策。なんで私…… 隠すことばかり考えてたんだろ。わざわざ隠さなくても……  姫の視線が、部屋の一角に佇む暖炉に向く。 「ごめんなさい、お父様…… でも、リアナは怖いです。だから…… そもそも、こんな本は最初から無かったことに……」  姫は暖炉に詰め寄ると中の様子を伺う。現在、季節は初夏。当然、こんな時期に暖炉が使われているはずもない。あるのは、無造作に置かれた木材のみ。姫は頭を抱えた。 「これ、どうやって点けるの? まさか、自分で火を起こせってこと? 嘘でしょ? 皆んな、あんな簡単に点けてたじゃない。ライターの一つくらい、何処かに置いてあったり…… ああーーもーー! オルディッ……」  途端に声が詰まる。馬鹿じゃないの私…… 姫は溜息の一つ付くと、本の表紙を捲る。いっそ、何の本か分からないくらいにビリビリに引き裂いて。後からまとめて暖炉にでも捨てれば…… 本の一頁をぐしゃりと握る。固唾を呑み、覚悟を決める。 「コレ……」  一瞬、姫の手が止まった。 「六月二十六日、宮殿内にて、昼を告げる鐘の音と共に帝国陸軍隊員の暗殺を決行。作戦の遂行は秘密警察に委ねる。昼過ぎには、レナード中将の死体を確認。自殺と断定……」  姫は、そっと本を閉じた。何、今の…… 暗殺? 秘密警察? いや、それより六月二十六日って今日じゃ…… どうしよう。どうしよう。どうしよう……って、どうしたいの私は? 別に兵士の一人が死のうと私には何も関係ないし、それほど珍しいことじゃない…… 私が悩むことじゃい。なのに…… いや、そもそも……   「本当に死ぬの?」    直近に見た、中将の顔が頭に浮かぶ。そうだ…… 姫は再び本を開くと、前後のつながりに目をやる。やっぱり…… 「六月二十六日、早朝。隣国ルーベルム王国との領土問題解消のために最後の外交を行う。よって、宮殿内のあらゆる権限をイザベラに委ね、私は宮殿を後に……」  そうだ…… 本来なら、今日お父様は宮殿には居ないはず。とっくに宮殿を離れていないとおかしい。なら、どうして…… 予定を変更したの? 違う。そうじゃない。予定が狂ったんだ。何で…… 姫は手に持った本をじっと見つめた。 「ハァ…… どうしたもんかな……」  男が壁にもたれ弱音を吐いていると、静かに部屋の扉が開いた。 「ねぇ。ちょっと良い?」  半開きの扉から僅かに顔を覗かせる姫。少し照れくさそうに話す。 「姫様…… ああ…… 良かった! もう、このまま出てこなかったらどうしようかと思いましたよ。さあ、教皇聖下が帰られる前に早く……」 「今何時……」 「えっ…… 別に時間は関係ないんですが……」 「だから、今何時か聞いてるんだけど。分かんないの?」  護衛の男は、徐に懐から懐中時計を取り出す。 「十一時五十五分ですね。もうそろそろ昼の鐘が鳴る時間です。それがどうかしましたか?」  後五分…… 姫は部屋の扉を開けると、何も言わぬまま一人足早に歩き始めた。男は、必死にその後を追う。 「姫様? 玄関でしたら、こちらの階段からの方が早いですよ? 姫様?」  まるで何かにでも取り憑かれたかのように無心に足を動かす。そして、姫は足を止めた。 「……リアナ皇女?」  一人の兵士が問う。しかし、姫は一言も声を発することなく、困惑する兵士の瞳をじっと見つめた。 「繰り返しになりますが、いくらリアナ皇女の頼みとあっても、ここを通すことは……」 「ねぇ、レナード中将。今日は、珍しく一人なのね」  その瞬間、中将は眉を顰めた。 「気まぐれ? それとも、お父様に一人でここを守るように、なんて言われたのかしら?」 「姫様、我々が関わるようなことではありません。とにかく今は一刻も早く教皇聖下の下へ向かいましょう」  男は姫を急かすように話を遮る。そんな男の声を右から左に聞き流す姫。その場に不穏な空気が流れる。もうすぐ…… もうすぐ…… 「あの、リアナ皇女? 私がこう言うのもおかしな話ですが、オルディボ閣下の言う通り教皇聖下の見送りに行ってはいかがでしょう? 皇帝陛下の顔を立てるためにも……」 「何? 私に命令してるの?」  姫は堂々と応える。途端に中将の表情が曇る。 「いえ…… 決して、そのようなことは……」 「姫様、もう良いでしょう。さあ、早く行きましょう。まだ、間に合います」 「待って! まだ、話の途中……」    "カーーーーン"
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