一章 影の病

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 その声に迷いは無かった。自身に満ち溢れた王の威厳。はぁ…… はぁ…… 無意識に鼓動が乱れる。落ち着いて…… 落ち着いて…… 男は、そんな姫をよそに、そっと手を差し出す。 「さあ、朝食の時間だ。行こうか。ミリア、お前も来ると良い。部屋のことなら既にビアンカ達に任せてある。心配は要らんよ」  皇帝は、いつになく温かい目をしていた。しかし、それとは裏腹に、銃器を持った何人もの兵士が、その周りを取り囲む。ああ…… そうだった。いつも、守られてばかりいたから。すっかり忘れてた。  私が相手にしてるのは"人"なんかじゃない…………  "国だ" 「リアナ。オルディボが見当たらないようだが、どうした?」  皇帝は隈なく部屋中を見渡す。誰もが、その様子を静かに見守る中、奥から一つの足音が鳴り響く。 「へ、陛下………… これは…………」  僅かに息を切らした護衛の男が皇帝を前に応えた。 「オルディボ。娘の護衛はどうした? 今まで何をしていた? 説明しろ」  皇帝は差し出した手を引き下げると、男に視線を移す。 「お、お父様…… その、オルディボには私が少し用を頼んでいただけで、決してそんなことは…………」  皇帝は、ゆっくりと姫に視線を戻す。 「そうか…… 用か。リアナ、お前の言葉を信じよう。オルディボ、これからダイニングルームへ移る。お前も着いてこい」  そう言うと、皇帝は無言のまま姫の手を握る。幾つもの兵士を連れ歩みを進める皇帝。もはや、姫に逃れる術は存在しえない。二人もまた、いつも以上に間を空け後を追う。 「ほら、今だ! アンタ達、行くよ!」  背後から、そんな声が聞こえる。昨日も聞いた、ビアンカ達の声。ああ、そっか。侵入を許したんだ。こんなに簡単に……  部屋の扉が閉まる。 「具合はどうだ?」 「えっ………… あっ………… その…………」 「昨日、いや連日と体調不良が続いていたようだが、今日の具合はどうだ?」  皇帝は、仕切り直しに質問を繰り返す。 「今日は、問題ありません……」 「そうか。それは良かった」  それから、しばらく宮廷内に静寂が流れる。もはや、喋ることすら、罪に問われるのではないか。そんな共通認識が、全体に蔓延していた。 「「開門ッ!」」  大門前に控えた兵士が声を大にした。ダイニングルームの扉が開く。 「貴方…… 随分と早かったのですね」  大門をくぐるとすぐ、皇后が姿を見せた。いつものごとく華美なドレスを見に纏い、落ち着いて席に着く。  大門が閉まると、兵士達は外で待機するべく部屋を出る。ミーシャ…… 「どうした? 座らないのか?」  皇帝は、静かに席に着いた。その周りには、昨日のように大将達の姿はない。 「その、お父様…… ミーシャが、まだ来ていないようですが…… ミーシャは、来ないのですか?」  姫は、固唾を飲んだ。 「ミーシャ…………?」  皇帝は、一瞬だけ視線を逸らす。 「ああ………… ミーシャか…… さあ、一応準備はしておいたが…… 来ようと来なかろうと、私達には特に関係はないだろう。気になることでも?」 「いえ…… 特には……」  姫は静かに席に着いた。今までも、ミーシャや他の親戚は何度も、この宮廷に来たことはあった。だからといって、私たち皇族と一緒に食卓を囲もうと考える者は決して多数ではない。ミーシャが、来ないことに不自然な点はない。  そして、今宮廷内に残るは、お父様直属の無数の兵士達…… 「皇帝陛下、失礼します」  男がいった。ゆっくりと開いた大門から一人の兵士が姿を見せる。レナード中将? 男は、当然の権利と言わんばかりに室内へと侵入を図る。 「お久しぶりです。叔母様。そして、叔父様…………」  中将の背後に隠れた一人の少女。その姿を見るや否や姫は、そっと胸を撫で下ろした。 「ミーシャか。来たのか。リアナの隣が空いている。座るといい。それから……」  皇帝は、そっと視線を横に逸らした。 「は、初めまして! 皇帝陛下。リアナ皇女直属のレディースメイドを務めさせていただいております。アロッサと申します!」  アロッサは深くお辞儀を済ませた。皇帝は、視線を皇后へ向ける。 「レディースメイドが二人もいるとは聞いていなかったが…… それより、なぜリアナ直属のレディースメイドである、お前がリアナの側にいなかった。まさか、遅れて来たとは言わないだろうな?」  皇帝は、声を尖らせた。まるで、部外者でも相手にするかのように。 「えっ? えっと、それは……」 「お父様。私が、命令したのです。ミーシャがいる間は、ミーシャのレディースメイドとして働くようにと。こちらの方がミーシャにとって不便が少ないと思いまして。それと、アロッサは今年来たばかりですので、よく外出なさる、お父様が知らないのも無理ないかと……」  姫は、堂々とした態度で、言ってみせた。 「……そうか。分かった。詳しい事は後から聞こう」  そう言うと、皇帝は静かに目を閉じた。暗殺において、一番厄介なのは、部外者が近くにいること。暗殺は出来る限り他人に、その現場を目撃されてはならない。  その点、お父様がアロッサの存在を知らなかったのは好都合だったと思う。万一に備えて、アロッサを早朝からミーシャの側に付けておいた。いくら、宮廷内が兵士で溢れているとはいえ、アロッサの前で暗殺なんて出来るわけがない。 「それにしても、考えることが似ているなリアナ。今日から、しばらくの間ミーシャの護衛を任せてある。レナード中将だ。覚えておいてくれ」
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