破滅の鶏卵

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 幼馴染の彼女には奇妙な趣味がある。  日向(ひなた)は今日も椅子に腰かけながら窓際に並んだ卵をうっとりとした表情で眺めている。机を挟んで向かい側に座っている僕はそれを嫌な顔で見つめていた。  彼女の眼がくぎ付けなっている卵には、その一つ一つに常人の芸術センスでは到底理解ができないような奇妙な装飾が施されている。そして、彼女が頬杖をついている机の上には卵に色を塗るために使った油性ペンが乱雑に転がっていた。 「私たちの神様はね」と彼女は言った。僕はまたそれかと密かにため息をついた。「こうやって装飾を施された卵の中から生まれてくるって言われているの。ほら、キリスト教でもイースターには卵を飾るでしょ? それはね、卵が生命の象徴だからなの」  彼女の言葉に僕は「そうなんだ」と適当な言葉を返してやり過ごした。まともに取り合っていたら、本気で気が狂ってしまいそうだった。    日向が怪しげな新興宗教にハマりだしてから、今日でおよそ十ヶ月ほどが経過していた。僕が愛していた幼馴染はその日から一度も現れていない。  始まりは梅雨が明けて間もない日だった。空はまだ灰色の雲で覆われていて、少しだけ肌寒い。  そんな日に、僕と日向は二人で大学の構内を肩身の狭い思いで歩いていた。  お互いに友人と呼べる人間は一人もいなかった。人付き合いが昔から下手だった僕たちにとって、開放的な大学という空間は孤立するのに最適な場所だった。  人間関係において受け身に徹している僕らのような人間は華々しい大学デビューに出遅れて、そのころにはもう取り返しがつかないくらい周囲のコミュニティが確立していた。  そのせいで、お互いに信頼できる相手は昔からの知り合いである自分たちだけだった。  何か縋れるものを探していたという点においては、僕と日向は同じだった。ただ違ったことといえば、僕にとって日向は水面に浮かぶ浮き輪のような存在だったのに対し、日向にとって僕は水面に浮かぶ一束の藁のように頼りない存在だったということだ。  きっと、日向が胡散臭い神様を信じようとしたのはそれが原因だ。荒波を生きていくには、僕よりも信頼できる存在が必要だったのだ。  大学内で明らかに孤立した僕たち話しかけていたのは、どこかレプリカのような笑みを浮かべる飄々とした男だった。  大教室の隅に二人で座っていた僕らの方に、その男はゆっくりと近づいてきた。 「コーラスサークルに興味はありませんか?」  彼らは自分たちの集団にそういったベールを被せていた。  当然、僕らはそれが本当にコーラスサークルだったとしても興味などなかった。しかし、孤独を嫌いながらそれでも積極性を欠いてきた僕らにとって、人からの誘いというのは貴重なライフラインだった。  僕らは互いに顔を見合わせた後、それに頷いた。  僕らが友好的な反応を見せると、男も僕らに友好的な笑顔を見せた。 「それなら、これからサークルの溜り場に行きましょう」  男に誘われるがままに、僕と日向は彼の背中を追った。
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