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第2話
マリアンヌ・ゼロス伯爵令嬢こと私は、諸般の事情によりネロ・フィフス殿下と結婚することになりました。
なぜか私が聞いた時には、決定事項なんだな。そこはほら貴族だからね、お約束。
顔合わせの場所もお約束のように、薔薇の花咲き乱れる庭園です。
よく晴れた春の日の午後。
真っ白なガゼボの中。
紅茶の香り漂う中でテーブルを挟み向かい合う男と女。
男はネロ・フィフス殿下。
青に金コードの騎士服をピシッと着こなしてらっしゃるネロ殿下は25歳。
キラッキラの金髪にギリシャ彫刻のように整った顔、スラっとした均整のとれた体は身長も高いし筋肉もしっかり付いている。
滑らかな白い肌に、バッサバサのまつ毛に囲われた大きな目には青い瞳。
その視線の先に居るのが私、マリアンヌ・ゼロス伯爵令嬢。
ピンク色のドレスに身を包んだ私は20歳。
赤い瞳に白い肌。
体は細いが引き締まった筋肉がついている。
自分でいうのもなんだが、流れる白っぽい銀髪は艶やかで顔立ちも整っている方だと思うし、スタイルも良い。
しかし、こちらを見る男の透き通った海のような青い瞳には、思い切り嫌悪の情が浮かんでいた。
「キミを愛することはない」
「……」
後は若い二人で、なんて言いながら父が姿を消し、二人きりとなった途端にこれだよ。
さすが地獄の貴公子、ネロ殿下。
やることが、ひと味違うねっ。
などと言うと思うか、バカヤロウ。
私はネロ殿下を睨みつけた。
「何? 不満でもあるの? ウサギみたいに赤い目で睨んでも迫力はないよ。不気味ではあるけれど」
「……」
媚びろ、とは言わない。
ですが、怒らせない程度の気遣いはしてくれも良いのではないでしょうか、殿下。
まぁ、どうでもいいですけど。
私は溜息をひとつ吐くと、ティーカップを口元に運んだ。
使用人たちも、護衛さえも遠ざけたガゼボの中には、ふたりきりしかいない。
新しいモノと入れ替えられることのなかった紅茶は、とっくに冷めていてマズイ。
思わず表情が歪んでしまった。
貴族令嬢らしからぬ失態である。
でも、表情が歪んでしまっても仕方ない事情があったのです。
「殿下、この紅茶、毒が入ってますね」
「おや、お気付きか?」
「はい」
私が毒に気付いたのには理由があります。
ゼロス伯爵家は、薬を手広く扱っているのだ。
その中には、毒もあれば毒消しもある。
「私は毒に慣れている。キミは?」
「私も、この程度ならば大丈夫です。いざとなれば毒消しも所持していますので」
ゼロス伯爵家が扱う薬とは幅広いのです。
私は気付いたことを殿下に告げた。
「影の気配も消えています」
「それは分からなかったな」
冷酷そうな目が驚きにちょっとだけ見開かれます。
私の気分はちょっとだけよくなりました。
内緒ですけどゼロス伯爵家は、王家の影など隠れて動ける人材育成にも携わっているのです。
「王家の影とは仲良しですの。気配くらい分かります」
「そういうものなのか?」
「はい」
嘘です。
影の人材育成にも携わるゼロス伯爵家には、外部に出せない特別な訓練法などの蓄積があります。
普通は将来、影として働く者を対象として施される訓練ではありますが。
私は、それを受けていた。
「嗜みとして学んでおりますの」
「そういうものなのか?」
「はい」
嘘です。
単純に私の趣味です。
だって、カッコよかったんだもの。特別な訓練。
しかも、やってみたら出来ちゃったんだもの。
また、皆さん、褒め上手だからぁ。
私、頑張っちゃいましたの。
結果、王家の影からスカウトを受けるほどの腕前になりました。
お父さまが速攻、お断り申し上げておりましたが。
でも私は、働く令嬢というのも悪くはないと思うのですよ。
私なんてほら、たかだか伯爵令嬢ですし。
跡取りにはお兄さま方がいらっしゃいますしね。
娘は私ひとりで、他家と縁を結ぶためには重要な駒なのでしょうけど。
息子が五人もいるのだから一人二人婿に出した所で困らないでしょう。
などと、お父さまに言ったら睨まれましたけど。怖くはないです。
なにせ、うちのお父さま。娘は猫かわいがりするタイプなので。
まぁ、そんなこんなで一般的なご令嬢とは違うスキルを私は身に付けています。
だから分かります。
庭園に近付いてくる不審者たちの気配が。
「護衛たちがいるだろう? そんなに心配するほどのことか?」
「……」
こちらをバカにしきった殿下の態度、ムカつきますね。
囁く小声が魅惑的に響く所が、更にムカつきます。
気に入らないけど、コイツ、王太子殿下だし。
国にとって大切な人間であることに変わりはないので、仕方ないです。
不測の事態があったなら、私が守らないといけません。
殴りたいのを我慢して、ザっと周囲の気配を探る。
護衛たちの気配はもちろん、影の気配もなく。
代わりに、知らない気配がこちらに近付いてくる。
これは本格的にヤバいです。
「ネロ殿下、武器はお持ちですか?」
「一応ね」
殿下は護身用の短刀を見せた。
見合いの席に帯刀はしなかったようです。
紳士と言えば紳士だけれど、いまこの場で進行している事件を考慮にいれたらタダのバカともいえますね。
近付いてい来る気配は、ひとつ、ふたつ……全部で、|六つ(むっつ)。
そんな脆弱な短刀では、歯が立ちませんよ殿下。
私はドレスの裾に手を伸ばす。
そこには、ドレスの飾りに紛れ込ませた、極小サイズの投げナイフが幾つか仕込まれています。
「そんな小さなモノが役に立つのかい? 爪楊枝のようではないか」
バカにしたような殿下の声がムカつきます。
「大丈夫です。小型ですけど、毒が塗ってありますので当てさえすれば」
「……っ」
殿下の顔色が、ちょっと変わりましたわね。
私、少しだけ気分が良くなりましたわ。
近付いてきた気配がガゼボの外で止まりました。
これで気分よく戦えそうです。
よかった、よかった。
「バサッ」
「ん⁈」
「っ!」
ガゼボの四方から飛び込んでくる侵入者たち。
戦いの火蓋は切って落とされました。
「誰だっ! どこの手の者だっ⁈」
殿下が叫んでいるけど、そんなの答えるわけがないじゃない。
私は手にしていた極小の投げナイフを問答無用で、侵入者に向かって投げつけた。
六人程度なら、丁寧に当てていけば怖れることはありません。
ナイフに塗ってあるのは、我が家に伝わる即効性のある毒。
「うわっ」
「ぐうっ」
刺さりさえすれば、うめき声をあげて倒れるより他にないのです。
これが、便利な毒でね。
即効性はあるが致死性の低い毒なんですよ。
だから事情聴取には問題ないわけです。
賢いなぁ、ゼロス伯爵家の薬師ちゃんたち。
侵入者はあと四人。
片手に一本ずつ掴んで投げて、あと|2投(にとう)を2回で事足りる。
「何が⁈」
「大人しくヤられろよ、お貴族さまっ!」
襲い掛かってきた侵入者の首を目がけ、ぴゅびゅんとナイフを投げる私。
頸動脈に刺されば、仕事が早い。
毒は素早く回って敵の動きを封じることができる。
「グッ……」
「あぁっ」
少し苦しげなうめきを上げて倒れる侵入者。
ドスン、ガラガラガッシャンと大きな音がしたが、それもご愛嬌。
意識を失ったら倒れる先なんて選べない。
赤毛短髪の大男が倒れ込んだ先にあったのはテーブルで。その上にあったティーセットもろとも倒れていった。
倒れ先が悪いと、殺すつもりがなくても死んでしまうことがある。
そうなるとこちらも都合が悪い。
死人には事情聴取ができませんからね。
背景が十分に探れなくなってしまう。
結果として、再びの襲撃を受け目的を果たされてしまう可能性もあるわけで。
その辺も踏まえた上で瞬時に判断しなきゃならないから、侵入者対応は難しい。
「女っ、何を隠し持っているっ!」
「どういうことだ⁈」
侵入者にイチイチ教えてやる必要もないと思うが、一応名乗ってみます。
「ゼロス伯爵家の者だけど?」
「うっ」
「やばいっ」
あ、やっぱりゼロス伯爵家はヤバいって話になっているんだ。
ヤバい人たちの間でも。
「逃がさないわよ」
私は侵入者の頸動脈目がけてシュシュッとナイフを投げた。
「うっ……」
「ぐぁっ……」
無事、二本とも刺さりました。
よかった、よかった。
「大丈夫ですか、殿下っ⁈」
「マリアンヌっ! 無事かっ⁈」
異変に気付いた護衛騎士やお父さまが駆けつけた時には、侵入者たちの始末はついていました。
アナタたち、遅くてよ、ホホホッ。
「私は、大丈夫です。殿下は?」
私は振り返って殿下を見ました。
金髪の美丈夫は短刀を握ったまま、私を見て目をパチクリさせています。
別にいつもの事ですからよいですけどね。
助けて貰ったら、お礼のひとつも言うものではありませんか。
ネロ殿下。
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