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第3話
迂闊にも王太子とふたりきりでベランダに出てしまった自分のミスを私は悔いています。
いまは国王主催の夜会が催されている真っ最中です。
「……殿下」
「なんだい?」
「邪魔くさいです」
「だって、キミ、強いから」
この国の未来を担う王太子殿下はいま、私の後ろに隠れるよう立っています。
細身の私の後ろに立ったって、堂々たる体格の殿下を隠せるわけがないです。
子どもかっ。サイズを考えろっ。
「だからって女の影に隠れるのはやめてください」
私、マリアンヌ・ゼロス伯爵令嬢は、身分が手頃でかつ実家太くて万歳という背景を背負いつつネロ・フィフス殿下の婚約者となりました。
顔合わせ以降も、ネロ殿下は納得のいっていない様子です。
それは仕方ない事ですので、私は納得しています。
ですが、この婚約が整ったのには理由がありますのよ、ホホッ。
ネロ殿下がどこまで知ってるか分かりませんけど、私の実家、なかなかにヤバい。
ヤバいゆえに力がある。
だからこそ、私は次期国王であるネロ殿下と結婚する羽目になっちまったのです。クスン。
うちの実家がどのくらいヤバいかというと、薬を扱えば、毒・毒消し・媚薬まで手を出して幅広く扱うし、関連で影育成にも関わってしまう程度にヤバいです。
影を育成できて毒も扱っているからといって、当然のように暗殺者の育成にも関わってしまう程度にはヤバいのです。
「フフッ。それがアナタの婚約者? 地獄の貴公子とか呼ばれていたけれど、ただの軟弱男じゃない」
ほら笑われちゃったじゃないですか、ネロ殿下。
私たちの目の前には、ゴージャスな美貌と肉体をゴージャスな化粧と衣装とで飾り立てた女性が立っています。
しかも私、この女性を知っています。
「ミルドレッド、貴女が敵になるなんて……」
「マリアンヌ。アナタも軟弱になったのね。暗殺者同士が敵対することなんて、珍しくもなんともないわ」
そこは異議があります。
私は貴族令嬢であって、暗殺者ではありません。
スキルはありますけどね。
「それでも私は悲しいわ、ミルドレッド。私は王太子殿下の婚約者で、私の影に隠れているのは王太子殿下なのよ? なのに狙うということは、国家に対する反逆よ?」
「ええ。分かっているわ、マリアンヌ。私は、この国を捨てるの」
「ミルドレッドっ⁈」
私は驚きのあまり叫びました。
彼女とは共にスキルを学んだ仲なのです。
「この国は、私を……私の愛する人を裏切ったのよ……もう、何の未練もないわ……」
「ミルドレッド……」
彼女の恋人が国の捨て駒にされたという噂は、私も知っていました。
「だから。隣国へ逃げる手土産に、アナタの後ろにいる、その男の命を頂戴っ!」
「ダメよ!」
恋人を亡くしたことには同情しますが、裏切りには同意できません。
満月が輝く夜。王城のベランダで、私とミルドレッドは向き合っていた。
王太子は私の後ろに控えている。
国王主催の夜会に紛れ込んだミルドレッドの狙いは王太子の命。
ミルドレッドは真っ赤なドレス。私は透き通った海の色のドレス。
ミルドレッドは復讐の赤をまとい、私は婚約者の色をまとっていた。
ミルドレッドの手には、見覚えのある小さな毒付きナイフ。
私の手にも爪楊枝のように小さな毒付きのナイフがあった。
ベランダの下は絶壁。
海の上にせり出しているベランダの上には逃げ場がない。
「私たちを仕留めたところで貴女には逃げ場がないのよ、ミルドレッド」
「ふふふ。こんな場面でもアナタは私の心配をするのね、マリアンヌ。でも気遣いは無用よ。アナタたちを仕留めたら、素知らぬ顔して使用人に紛れ込み、逃げおおせてみせるから」
「無理よっ、ミルドレッド。諦めて頂戴。悪いようにはしないわ」
「それこそ無理でしょ? 私は次期国王たる王太子殿下の命を狙ったのよ。私に退路はないのっ!」
ミルドレッドの両手からナイフが飛ぶ。
綺麗な軌道を描いて私と殿下を狙うナイフから、かろうじて身を躱す。
反射的に私の両手から投げられたナイフは、ミルドレッドの頸動脈を左右からえぐった。
「っ⁈」
「ミルドレッドっ!」
瞬く間に回った毒で体の自由を失ったミルドレッドの体が傾く。
駆け寄り伸ばした手の先から、赤いドレスが離れていく。
「ミルドレッドォッッッッッ!」
彼女の体はゆっくりと、しかし確実に、ベランダの向こうに落ちて行く。
「……ミルドレッド」
残ったのは夜闇に浮かぶ、私の白い手。
◇◇◇
そこからも何度か、王太子殿下は狙われました。
なぜか私は、その場に居合わせることが多くて。
何度も命を救うことになったのです。
王太子殿下が私を見る時、その透き通った海のような青い瞳には、以前のような嫌悪の情はない。
それでも彼は言う。
「キミを愛することはない」
「そうですか」
「だから、安心して嫁いでおいで」
微妙に、ニュアンスが変わっていく言葉。
微妙に、熱を帯びていく視線。
それが私には、微妙に居心地が悪くて。
向けられた視線から隠れるように、私は顔を背ける。
「貴男なんて嫌いよ、殿下」
私は愛が欲しいのか、要らないのか。
それすら自分で決められない人のようで。
守っているのか、守られているのか。
その曖昧さが心地悪い。
なのに、ネロ殿下は爽やかな笑顔で言う。
「それでもいいよ。私がキミを愛することはないからね」
「もう……っ」
私の不安を見抜いて合わせてくれる。
必要以上の事は言わない貴男に心が揺れる。
だから……大嫌いですわ、殿下。
◇◇◇
私の戸惑いに合わせて時間が止まってくれるわけもなく。
ドレスの仮縫い。
付け焼刃の王妃教育。
引っ越し。
結婚式の打ち合わせ。
必要な事は必要なだけ、私の脇を流れるようにしてつつがなく行われていく。
豪華な結婚式に、意味なんてあるのか。
私が王太子の嫁になることなどに意味なんてあるのか。
「お飾りには、お飾りなりの効果があるってことだよ。国が平和で豊かなら、国民は勝手に幸せを探して、勝手に幸せになっていくよ」
「そんなものですかね」
「そんなもんですよ」
ネロ殿下の言うことは、よく分からない。
「殿下の言うことに従って、国に仕えなさい」
お父さまがもっともらしく言う。
お父さまの言うことも、よく分からない。
「マリアンヌ。キミはどうしたいの?」
王太子が聞いてくるけれど。
それが一番、わからない。
「それだけの能力を付けたのだ。活かさなければ勿体ないだろう? だから私は、お前の能力を一番活かせる場を用意しただけだよ」
お父さまは、そう言うけれど。
私はには、よく分からない。
王家の影ちゃんたちと仲良くなったので、彼らにも意見を求めてみたけれど。
「それを決めるのは、マリアンヌさまですからね」
と、丸投げです。
まぁ、わたしの事だから、丸投げで正解なんだろうけど。
私は……どうしたいんだろう。
考えている間も時間は止まらない。
あっという間に式当日。
堅苦しい式典は、格闘訓練より疲れる。
私なんて、しがない伯爵令嬢だからね。堅苦しいのには慣れていない。
キレイキレイと耳にタコが出るほど聞かされて。
高い場所に上らされ。
豪華さで豊かさを見せびらかす。
キレイなことも。地位があることも。お金があることも。
どんだけの価値があるんだろうね。
「国家の威信がかかってるからね」
ネロ殿下は言うけれど。威信なんぞ、何の役に立つのか。
「この国が立派であるとアピールすることは、周辺諸国への牽制にもなるからさ。結局は、国家の平和のためになるのさ」
なんて、ネロ殿下は言うけれど。
私にはイマイチ、ピンとこない。
白地に金刺繍を施した婚礼衣装をまとう凛々しい殿下の隣を、ウエディングドレスっていう無駄に重くて苦しいドレスを着て静々と歩く私。
価値があるから、この行事にお金もかけるし、護衛もしっかり付くんだろうけれど。
今日は特別に人数が多いのだとしても、これからは日常的に影もつけば護衛も付くわけで。
そう思うと堅苦しくて重たくて、頭が痛い。
アレだね、王族ってヤツも難儀だね。
私なんてしがない伯爵令嬢だから、ついていけない。
ヨロヨロっすよ。
やり遂げた感はあるけど、もう寝たい。
でも、せっかく辿り着いた寝室で。
「ねぇ、キスしていい?」
と、まぁ。王太子殿下に甘く迫られているわけですが。
しかも。
「大丈夫、大丈夫。キミを愛することない、からさ」
とか言って、笑って居やがりますよ、この野郎。
なんだろう。
なんだか、とってもムカつきます。
「私の事が嫌いでも、私がキミを愛することがなくても。キスもできるし、子供だって作れるだろう?」
しれっと、とんでもない事を言いやがりましたよ、この野郎。
「キミが望む通りにしてあげるから、その可愛い口で望みを言ってごらん」
だったら、もう寝かせてくれませんかね。
そもそも、やる事をやる気なら、先にすべき支度とかあるわけですが。
などと思いつつ、テーブルの上にあったイチゴを自分で取って口の中に放り込んだ。
そして気付く。
「影ちゃんたちの気配がありませんね」
「そう? 私には分からないけど」
「表の警備も……気配がない」
そもそも、室内に私たち以外の気配が全くない、というのも不自然だ。
私は事前に仕込んでおいた武器の場所を思い浮かべながらテーブルの下に手を伸ばし、毒を塗ったナイフを掴む。
まぁ、ココまで来てしまったのだ。
国王陛下を守りながら生きるというのも、アリかもしれない。
そんな事を思いながら、私は天井から降りてきた侵入者を上目遣いで睨み、ニヤリと笑った。
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おわり
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