教団 マッチ売り少女

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 俺の目の前にアイドルがいた。俺が推しているアイドル。全裸で立っている。胸と局部を手で隠し、顔を赤らめ恥ずかしそうに伏目になっている。  俺は彼女を抱きしめた。シャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。彼女の肌の潤いと柔らかさは、俺の手から脳に伝わり刺激する。俺の股間はすでに硬く勃起していた。  彼女の手が俺の腰へと回った。伏目だった彼女の視線が上に上がる。俺と目が合い、微かにお互いに見つめ合った。俺は勢いよく彼女に口づけをする。そして雪崩れるように押し倒した。  まさか俺がアイドルと……。夢のような出来事だ。 ~~~~~~~~  俺は自殺を考えていた。  俺は四十歳を過ぎ、人生の折り返し地点を迎える。しかし俺の人生には何もない。  俺は定職にも就かず、Webライターとして収入を得てはいるが、なんとか食いつないでいるのがやっとだ。もちろん結婚もせず、妻子もいない。妻子どころか彼女もいない。  同級生のほとんどは、すでに結婚して、子供もいて、いい役職に就いて、家も建て、それなりの生活をしている。  こんなはずではなかった。  俺には才能があり、他のみんなとは違う、と思っていた。いつしか本を出版し、多くの印税を得て、みんなから羨ましがられる存在になれると信じていた。でも、それは違った。俺には、人より突出した才能なんてなかった。ようやく、そのことに今、気が付いた。  いいや、今、気づいたわけだはない。変にプライドがあり、いままで気づかないふりをしていた。俺は凡人とは違う、っと思い込もうとしていただけだった。同級生の普通の生活を馬鹿にすることで。  四十歳を過ぎ、ようやく目が覚めた。でも、それは時すでに遅しで、やり直そうにも、やり直す気力もないし、方法も浮かばない。  俺は、生きる希望を失っていた。  俺は毎日のように死ぬことを考えていた。死ぬことは嫌ではなかったが、痛いのは嫌だ。そして、他の人に迷惑がかかることも。富士の樹海にでも行こうかと思ったが、餓死で亡くなるのも辛そうなので踏ん切りがつかなかった。  俺はインターネットで自殺の仕方を夜な夜な調べていた。  そんなある日、俺は一つの闇サイトとたどり着いた。それは、自殺を手助けしてくれる組織だった。その組織の名は、マッチ売りの少女。  その組織に頼めば、童話、マッチ売りの少女と同じように、夢を見ながら死を迎えることができる。そんな自殺を教えてくれるという。しかも、遺体の処理も任せれるので、誰にも迷惑が掛からないそうだ。    俺は疑いながらも、そのサイトに連絡を入れてみた。  するとすぐに、俺のメールボックスに、マッチ売りの少女、という名で返信がやってきた。  俺とマッチ売りの少女と何度かやり取りをし、最終段階としてお互いに対面で会うことになった。マッチ売りの少女から日時と場所を指定された。  昼間の喫茶店で待ち合わせだった。自殺を頼んでいるのに、なんでこんな場違いな場所と時間帯を選んで来たのか、俺は不思議に思った。だけど生きる意味を失っていた俺は、素直に従った。    「横山さんですか?」  待ち合わせ場所で私の名を尋ねてきた人物がいた。    その人物は俺より年配で、紺のスーツを着ていた。スーツもこれといって普通のスーツで、量販店で安く売ってそうなものだった。  そのスーツの男は私に名刺を渡した。名刺には、社名の所に、マッチ売りの少女と書かれていて、名前の所に、今野一郎と書かれていた。  俺はその今野という男と一緒にコーヒーを頼み、しばらく喫茶店で話をすることになった。  「なんで、こんな昼間に喫茶店で待ち合わせしたんですか?」  俺は素朴な疑問を今野という男に訊ねた。こんな場所で自殺のことを訊くには、あまりにも場違いだ。  「私どもの組織は、決して自殺を薦めてる組織ではありません。できれば生きることを薦めます。だけど、どうしても自殺をしようとする人の手助けをする組織なのです。だから、昼間の喫茶店で気分が明るくなり自殺を思い止まるようなら、そのほうが私どもは嬉しいのです」  今野という男が、昼間の喫茶店で自殺というキーワードを平気な顔して言っているのが気になるが、でもこれから死のうとする俺にとっては、もうどうでもいいことだ。  俺と今野は、昼間の喫茶店で、コーヒーを飲みながら、優雅に自殺の話を続けた。  今野は今日これから、マッチ売りの少女の施設に俺を連れて行くと言う。施設は秘密の場所で、車で行くが、その途中は俺は目隠しされるという。それと、そのときは俺のスマホは没収される。  施設に着いたら、その施設で一週間過ごして、その後、自殺に移る。自殺は、この組織が独自に開発した方法だという。組織名の通り、マッチを使う。特殊なマッチで、マッチに火を()けると、強い幻覚を見る。その幻覚は、自分の夢を叶えてくれる夢だ。  マッチの炎と匂いが脳内ホルモンを大量に分泌させる。マッチを()ければ()けるほど、いろんな夢を見れる。心地の良い夢だ。でも副作用がある。それは死だ。  しかし、これが夢を見ながら、苦痛もなく死ねる自殺の方法だという。  今野の話は眉唾ものではあったが、それでも俺は今野の話に乗っかる。それほど俺は自殺を求めていた。  俺は今野にスマホを預けた。そして、そのマッチ売りの少女の施設に連れて行ってもらうことにした。  喫茶店から出た俺は、今野の車の後部座席に乗車した。今野の車は白色の高級日本車だった。清潔感のあり、匂いも新車独特の良い香りが漂っていた。座り心地も良く、安心感があった。特に、怖いという感覚もない。  運転席から今野が俺に、ペットボトルの飲料水と一錠のカプセル剤を差し出した。「睡眠薬です」と今野は言った。私が戸惑っていると、「念のためです」と今野は付け加えてきた。  今野が言うには、我々の施設を特定されないために、移動中は目隠しをしてもらうのだけど、もし了承してくれるなら睡眠薬を飲んでもらい寝ていてもらいたい、ということらしい。  俺は今野の申し出を了承し、睡眠薬を飲んだ。そして次に今野からアイマスクを受け取り、自分で付け、視界から光を遮断した。  俺が目隠してしばらくすると、車が発車するのが分かった。静かでゆっくりだけど、体が座席に引き寄せられた。  睡眠薬のせいか、はたまた車の座り心地の良さのおかげか、発車後、次第に俺は眠気に襲われた。  どのくらい時間が経ったのか?俺はどのくらい寝ていたか?どうやら、もう車は動いてない、停まっている。視界は暗いが、体の感覚は動きの慣性を感じない。  「おい」。俺は一言、言葉を吐き出した。  「目が覚めましたか?」  運転席のほうから今野の声が聞こえてきた。  「目的地に着きました。アイマスクを外しても結構ですよ」と今野が言う。  俺はアイマスクを外す。白色の光が目に飛び込む。眩しさに俺は目を(つむ)る。目を(つむ)っていても瞼の上からでも、微かに光が当たるのが分かった。俺は光に慣れるまで目を(つむ)り、ゆっくりと目を開けた。  車の目の前には、白い建物があった。校舎くらいある大きな建物だったが、正面から見える角度には窓らしい窓はなかった。モダンというより無機質な印象を受ける建物だった。  「あの建物が、我々の施設です」  そう言いながら、今野は車から降りた。「横山さんも出てください」と付け加えた。  俺は車から降りた。降りて辺りを見渡した。施設以外は木に囲まれていた。駐車場から出る一本の道しかない。遠くには山々が見える。どうやら森の中に、ぽつんとある施設のようだ。  今野は建物に向かい歩き出していた。俺も今のあとを付いて行った。  建物には、大きな建物に似合わない、小さなアルミの扉が一つだけ付いていた。  扉の前に来ると、今野は振り向き、俺のほうを見た。そして俺に話し掛ける。  「ここが自殺をしてもらう場所です。でも自殺まで一週間、ここで過ごしてもらいます。その一週間の間、我々の指示に従ってもらいます。っと言っても、大してことはありません。一応、体の検査を受けてもらいます。血液の検査や内視鏡の検査などです」  「どうして?」  俺は混乱した。これから死のうというのに、なぜ検査が必要なのか?  「念のためです。まあ、研究の一環だったり、我々のマッチの効果が横山さんに効くのかを調べるためです」  今野の返答に怪しさを感じたが、まあ、どうでもいいことだった、俺にとっては。  「横山さん、私の案内はここまでです」  「あとは?」  「中に入れば、中の職員の指示に従ってください」  俺は今野の言葉に頷く。今野は言葉を続けた。    「我々は自殺の手助けをする組織ではありますが、決して自殺を薦めているわけではありません。一週間、ここで過ごしている間で、もし心変わりして、生きて行く気になったら、建物の中の職員に遠慮せずに言ってください」  俺は生きる気など毛頭無かったが、一応、今野の言葉を心に留めてるフリをし、頷いて見せた。    「納得できるようでしたら、ここにサインをお願いします」    今野は俺に、紙とペンを差し出した。その紙は名前を署名する一行分の隙間しかなかった。あとは黒い紙で隠されていた。何を書いているか言えないが、サインをしろ、っと言うことらしい。  俺は文句を言うのも面倒だったので、黙ってサインした。  今野は俺のサインを受け取ると、扉の脇にあるインターホンを押した。インターホン越しに、今野は何か喋ると、扉からガチャっと鍵が開く音が聞こえてきた。  今野はアルミの扉を開け、俺を建物の中に誘導した。建物の中には、すでに白衣とマスクをした者が立っていた。俺が建物の中に入ると、今野はアルミの扉を閉めた。  施設に入ると、俺は33番という番号を受け取った。そして、名前ではなく、33番と呼ばれた。そして服を脱がされ、病院での入院服みたいなものを着せられた。  職員は白衣とマスク、それに頭には白のキャップをかぶっていて、ほとんど目しか見えてない状態だった。一週間の間、多くの職員を見たが、誰が誰なのか認識はできなかった。  施設の中は、すべて部屋で仕切られていて、廊下からはその部屋が見えない。俺と同じような自殺希望者が何人もいたのかもしれない。  俺は33号室の部屋に案内された。その部屋からは、職員の許可なしには出れないようになっていた。でも、何ら不便はなかった。部屋は快適な温度に保たれているし、バス、トイレも完備されている。通信関係のものは無いが、DVDや本、ゲームなど、一応娯楽も用意されていた。食事も前もって職員に言えば、好きなものを用意してくれた。和洋食、好きなものが頼めるし、お菓子やビールでさえも提供してもらえた。  ただ自殺の2日前からは、ゼリーみたいな流動食しか許可されなかった。胃の内容物を極力減らし、遺体を処理しやすくするためだそうだ。  一週間の間、たまに部屋から出ることがある。今野が言ったように、体の検査をするためだ。  職員に呼ばれて部屋を出る。しかし、そのとき職員以外の人物とは、すれ違ったりはしなかった。時間を調節し、自殺希望者同士が顔を合わせないように配慮されているみたいだった。  採血、内視鏡、CT、MRI、いろんな検査を受けさせられたが、検査結果などは何も教えてはくれなかった。  ここでの生活に不都合なことはなかった。今までだって引きこもっていたわけだし、一週間ぐらい部屋に閉じ込められるくらい、何ともない。まあ、()いて言うなら、施設自体が研究所みたいで色がない。ほぼほぼ白一色。これに慣れるまで、気持ちがソワソワして落ち着かなかった。  一週間、死の恐怖というものは無かった。後半になるにつれて、ここで過ごすのが安らぎにすら感じた。もう未来のことに思い煩うこともない。お金の心配もしなくていい。なんて快適なんだ。  一週間後、「33番」と呼ばれ、部屋を出た。そして職員に連れていかれた部屋は小さな小部屋だった。三畳分ほどしかなく、寝転ぶスペースほどしかない。  部屋には一つも窓はなく、真っ白な壁に、真っ白な床だった。そして部屋の真ん中に、マッチ箱と灰皿が用意されていた。  「マッチ箱にマッチが百本入っています。一本のマッチで一つの夢が叶います。マッチ売りの少女のように、火が灯っている間、本当に実際のことのように感じられます。夢を見るだけでなく、五感で味わえるのです。ただ、百本、火を灯し終わると、あなたは死んでしまいます。引き返すのなら今です」  職員が、まるで音声録音のように感情もなく説明してくれた。  俺は引き返す気は毛頭なかった。だけど、一つ疑問に思った。途中で止める、っというのは、どうだろう?途中で止めれば、良い思いだけできる。一週間、タダ飯が食えて、なおかつ夢が叶うのだから。俺は嫌味たらしく言ってやった。「途中で止めて、引き返してもいいのか?」っと。  職員は、またしても感情なく返答した。  「生きる意味を失った者が、快楽に打ち勝って、途中で止めることはできないと思われます。今まで一人もいません。もし、そうなさりたかったら、そうしてください。ただし体の状態がどういう状態になってるかは、不明です。実例がないので分かりかねます」  職員の返答を聞いて、質問しなければよかった、と思った。返答の内容に興味もなかったし、そもそも途中で止めるつもりもないのだから。俺はただ、職員をおちょくって、イラついた様子が見たかっただけだった。  俺は、職員に何も言わず部屋の中に入った。俺が中に入ると、職員が部屋の扉を閉めた。    俺は座り、マッチ箱を手にした。マッチ箱からマッチを取り出し、一本マッチを擦った。マッチからはオレンジ色の炎がチリチリと音を立て広がり、そして微かに硫黄の匂いがした。    オレンジ色のライトの中にアイドルがいた。アイドルが裸で立っていた。俺は、そのアイドルとセックスをした。  俺にとっては、久しぶりのセックスだった。二十代のときに風俗でしていらいだから、もう十年以上セックスをしてなかった。もちろん俺に彼女ができた経験はなく、いわゆる素人童貞というやつだ。お金を払わずセックスをする初めての相手がアイドルなんて、俺は年甲斐もなく興奮した。  セックスをし終わると、オレンジのライトは萎んでいき、最後には消えてなくなった。オレンジの光と一緒にアイドルもいなくなった。    俺の視界には、白い壁と白い床だけがあった。  俺は現実に戻ると同時に、股間に気持ち悪さを感じた。ねっとりと湿った感覚。俺は射精をしていた。気持ち悪かったけど、拭くものは無い。俺の股間は、まだ勃起をしていた。    あれは夢なのか?いいや、俺の手にはまだ彼女の肌の感触が残っている。彼女の温かさも、彼女の匂いも、はっきりと自分の感覚に残っている。決して夢ではない。正真正銘の現実だ。マッチの火は一瞬かもしれないが、俺は確かにアイドルとセックスをした。  俺は興奮が収まらないまま、マッチに火を点けたくて仕方がなかった。股間の気持ち悪さも、どうでも良くなり、俺はマッチを擦った。  それから代わる代わる相手を変え、俺はセックスをした。アイドルに、女優に、モデル、選びたい放題だ。  だが射精をしたのはマッチ三本目までで、マッチ十本過ぎたあたりから勃起するしなくなっていた。  俺は今まで、彼女ができたら毎晩のようにセックスするのに、っと羨ましく思っていた。ずっと、ここ十年以上、マスターベーションで我慢していたのに、いざセックスできたのに、一日でやれる回数には限度というものがあるみたいだ。しかも俺は、もう四十過ぎのおっさんなのだから。  セックスも飽きてきたな、っと思いながらも、マッチを擦る快楽は止まらない。    マッチを擦って、火を灯すと、俺はタワマンの部屋に住んでいた。広々とした部屋、床のフローリングは天井の照明が反射するほど輝いている。ソファーは革張り、一人で座るには無駄に広いスペースがあり、腰が沈み込み、踏ん反り返るのに丁度いいクッション性だ。壁にはホームシアター用の巨大なスクリーンが掛かっている。スクリーンが掛かっていない部分の壁は、すべてが窓。その窓からは都会の夜景が一望できた。    セックスに飽きたと感じたら。俺は窓から都会の街を見下ろし、成功者の優越感という快楽を得ていた。  俺はバスローブ姿でワイングラスを片手に、優雅にワインを飲んでいる。  優越感に浸って、しばらく自分に酔いしれていた。やはり、オレンジ色の光が次第に萎んでいき、俺は元いる狭く白いだけの部屋に戻された。  俺はすぐにマッチを擦った。  俺は成功者がしてそうなことを次々した。  筋トレ道具みたいな重そうな高級時計を付けた。オープンカーで海岸線を走った。服もブランドのロゴが強調されたものを着た。最終的には、バスタブに札束を敷き詰めて、札束風呂にも入ってみた。  この興奮も、何回かすると冷めてしまった。自分一人で満足する興奮なんて、すぐに慣れてしまう。俺は、誰かに見せびらかし、自慢し、より強い優越感を得ることにした。  俺は今までの同級生に会いに行く。普通に働き、普通に結婚し、普通に生活している奴らに。  同級生たちは、俺のことを褒めたたえる。「すごいな、横山は」と皆が羨ましがる。成功者の俺の姿を見て。俺は「そんなことない、たまたまだよ」と謙遜するフリをする。内心では、才能が違うっと、ほくそ笑む。その優越感がたまらなく快感だ。  俺は同級生だけでなく、俺をいままで馬鹿にしてきた奴を見返す。  Webライターの俺に、注文しなかった客。原稿を持ち込みしても、門前払いした出版社。奴らが次々に頭を下げて、俺に依頼してくる。俺は、「本当は、してあげたいけど、時間が」っと言って、頭を下げて断りを入れる。内心では、お前の仕事なんか受けてやるもんかっと、ほくそ笑む。子の優越感がたまらん。  俺の父親にも言ってやる。  さんざん俺のことを馬鹿にしてきた。子供のころから、俺のことを出来ない奴だとレッテルを貼って、「お前なんかに出来るわけがない」と言われ続けた。  俺は年老いた父親に小遣いを渡す。「俺が、こうして成功できたのも、親父のおかげだから」と言って。父親は満更でもない表情で、俺からの小遣いを受け取る。俺は内心では、親より立派になったっと、ほくそ笑む。  優越感の快楽は、劣等感の塊だった俺に、止めどもなくマッチを擦らせた。もうマッチ箱のマッチは、半分は灰皿の中で燃えカスになっていた。  それでも優越感を求めて、マッチを擦った。  俺は出版業界で名声を得た。出す本、出す本が、ベストセラー。ドラマ化、映画化が次々決まる。いくつもの文学賞を獲り、いろんなメディアから取材を受ける。そしてまたマッチを擦る。  本屋に平積みで山のように置かれた俺の本。そしてまたマッチを擦る。  多くのファンからサインを求められる俺。そしてまたマッチを擦る。  インタビューやドキュメントの映像を取られる俺。そしてまたマッチを擦る。  俺は皆からの視線を浴びる。俺の一挙手一投足がニュースに取り上げられる。    さまざまな優越感を得たところで、俺は疲れてしまっていることに気づきだした。  プライベートを大事にしたいので注目されたくないという気持ちと、誰かに褒められていたいという優越感。その二つがせめぎ合って、心が疲弊してきている。俺は元々、コミュニケーションが苦手で、どちらかというと一人でいるのが楽だと思うタイプだ。だから今まで四十過ぎるまで引きこもっていたのだから。  しかし、それでも、やはり俺はマッチを擦らなくてはいられなくなっている。  マッチを擦って火を灯す。  すると夢が切り替わった。誰かに才能を認められる場面ではなかった。それはただ、自分一人で執筆作業をしている夢だった。  この時、マッチは残り三十本程度になっていた。  俺は小説を書きあげる。俺は小説を書くとき、ラストのシーンを決めてから書き始める。そのラストシーンをより良くするためにストーリーを書いているとも言える。俺はそのラストのクライマックスを書くのが好きだ。途中のストーリーを書く作業なんて、苦痛でしかなかった。しかしその苦痛も、ラストを書き上げるまでになると達成感にかわる。作品が形になる、この喜びのために、俺は小説を書く。  俺は小説を書き上げ、達成感に浸ると、マッチの火はゆっくりと消えてった。  マッチを擦って、俺は、また小説に取り掛かる。  ストーリーの構成を考える。何か面白いアイデアが浮かばないか、いつも悩む。生みの苦しみ、というやつだ。売れている作家は、よくこんなことを言う。「キャラが勝手に動く。それを書くだけだ」っと。私が売れなかったのは、やはり才能がなかったのかも。キャラが勝手に動いて小説を書く、なんて、そんなことはできない。  私の場合、ストーリーの構成を考えて考えて考え抜くと抜くと、やっとストーリーのアイデアの(きざ)しが見える。その微かな(きざ)しを見失わないように、手探り状態で構成を組み立てる。それは頭の中で組み立てることもあるし、メモを取って組み立てることもある。これをしないことには、私は小説を書きだすことができない。  でも、考えて考えてアイデアが浮かんだときは、爽快な気分だ。まさに今、その爽快な気分を味わっている。まるで一週間便秘で悩んでいたけど、いきなり豪快な便が出てきたような。  私は爽快感を味わうと、火は消えていく。  マッチを擦って、小説を書く。やっぱり私には創作作業が合っている。  ストーリー構成を考えて書く。構成を考えて書くが、途中で行き詰まることがある。少しのほころびから、段々と考えていたストーリーが破綻することもある。でもそんなとき、キャラが勝手動いて、思いもよらないストーリーを展開することがあった。小説を何作も書いて、ほんの数回だが。そのときは自分が読者になってる感覚になる。自分が書いているのに。  売れている作家は、いつもこんな感動を味わいながら書いてるのか、っと羨ましく思った。  あのときの奇跡を、もう一度私は味わう。読者のように感動しながら小説を書き上げた。そして火は消える。  十本ほどの小説を書くころには、脳みその疲労感が最高潮になっている。  これは夢なのか、それとも現実なのか、分からなくなっている。境界線が不透明なまま、マッチだけは擦ることを止めなかった。いや、止めれなかった。  俺の目の前にステーキがあった。鉄板の上で脂の雫が飛び跳ねていた。蒸気から香ばしい匂いが充満する。  俺はステーキにナイフを入れる。ナイフは何の抵抗もなく。まるでバターでも切るかのように進んでいく。俺は一口サイズのステーキを口に運ぶ。口に入れた瞬間、肉の味を感じ、唾液が出てくる。噛む前に、唾液で肉が溶けてるんじゃないかと思うほどの肉汁が口に広がる。俺は口に入れた肉をひと噛みする。思わず口の外まで肉汁が弾け飛ぶ。  俺はステーキを食べ終わる。マッチを擦る。  今度は寿司。マグロにウニにアワビ、高級寿司をたいらげる。マッチを擦る。  今度はウナギ。ふっくらと厚みがある。そして濃厚なタレ。米と一緒に口に掻き込む。マッチを擦る。  中華にイタリアンにフランス料理、はたまた高級スイーツも。  この施設に来てから、食事は自由に食べられた。だから俺は高級なものをどんどん食べた。そして今、もう一度、夢の中でも同じものを食べている。香り、味、食感、全て感じることができる。しかし食べている最中は満腹になるが、食べ終わった途端に空腹に戻る。  セックスの夢とは違い、射精すると性欲は衰えるけど、食欲は、食べる夢だけでは満たされないようだ。しかも、ここ二日間は、固形物は何も食べてないのだから。  空腹は消えないが、味付けには飽きが来た。高級な味は、俺の舌にはあまり合わないのかも?空腹でも、何回も何回も食べ続けたいと思わない。俺の舌は、庶民的な味を求めている。次の味を求め、マッチを擦る。  いつも食べているジャンクフードが現れる。  チェーン店のハンバーガーに牛丼、ピザ。そしてカップラーメン。  そうそう、この味。この味がたまらなく美味い。何度も何度も食べたくなる味だ。  俺はマッチ箱を覗く。もうマッチの残りが十本になっている。俺は慎重に考える。いままで食べた中で、美味かったものは何だろうか?そう思いながらマッチを擦った。  俺は若返っていた。若返った、っていうより、学生時代に戻っていた。俺は中学、高校までは陸上部で、長距離を走っていた。別に、運動が好き、って訳ではなかったけど、当時は運動部に入らない男子は下に見られてしまうので運動部に入部することにした。球技などのスポーツは、運動神経のないと自覚していたので、俺は陸上部を選択した。  毎日の練習は辛かったし、嫌だった。しかもタイムもそれほど縮まない。そんな嫌だった練習を俺は今している。  高校を卒業してから運動することを止めた俺は、次第に体型も崩れ、筋力も落ち、三十歳くらいからは近所への散歩ですら息切れしていた。でも、学生に戻った俺は、軽快にスピードに乗る。汗もかき、息も荒くなる。でも、この苦しさが、心地良い。運動できる、って素晴らしく気持ちいいことだ。俺は走りながら感じた。  そして部活後、腹が減って、よく買い食いをした。小さなスーパーマーケットで百円のパンとコーヒー牛乳を買って、歩きながら食べていた。    今、俺は、あの頃と同じように、運動後、パンを頬張り、コーヒー牛乳で流し込む。最高に美味しい食べ方だ。  お気に入りのパンを、もう一つ食べる。  今度は大学時代。大学生活は寂しいものだった。友達はほとんどおらず、俺は一人で過ごすことが多かった。この頃から、小説をよく読むようになったし、自分でも何か書いてみたいと思うようになっていた。  そして俺には唯一、一人だけ仲が良かった親友がいた。そいつの名は高木。高木も友達という友達は、ほとんどおらず、俺たちは良く一緒にツルんでいた。それもそのはず、俺と高木は物語の創作という趣味で繋がっていた。俺は小説で、高木は映画だけど。    でも俺たちは、お互いに読んだ小説や観てきた映画を紹介し合い、よく評論し合っていた。あそこのラストがいまいちだ、とか。あそこの伏線が素晴らしい、とか。そして、そのとき話し合っていた場所は、いつもファミレスだった。貧乏学生だった俺たちは、フライドポテトとフリードリンクで何時間も粘っていた。  あのときのポテトの味が懐かしい。  でも高木とは、喧嘩別れをし、それ以降、高木とは話していない。  喧嘩の理由は、こうだ。  高木が自作の脚本のアイデアを練っていた。不完全だけど、面白いアイデアだと、俺は思った。俺は高木に、早く仕上げろよ、と何度も何度も言ってきた。二年経っても、全然、脚本の進行は進んでなかった。ある日、痺れを切らした俺は、高木のアイデアで、小説を書いた。  これは、俺は高木のアイデアを盗みたかったわけではない。ただ、高木の脚本のヒントになればと、良かれと思ってしたことだ。  「パクるな」  高木は俺に怒鳴って言った。  俺は一応、説明した。自分の考えを。  だが高木は、「余計なお世話だ」と言ってきた。  売り言葉に買い言葉で、ついつい俺も言い返した。「アイデアを寝かせて置いても、作品はできないぜ。この口だけ男」っと。  俺は、それから、そのファミレスのフライドポテトを食べなくなった。食べると、つい高木のことを思い出してしまうので。  俺はフライドポテトを食べながら、懐かしいやら、後悔やら、未練やら、いろんな感情を味わった。  そんな感情も、マッチの火とともに消えていく。何度か高木との思い出のフライドポテトを食べた。  マッチ箱の中には、あとマッチは五本になっていた。俺はマッチを擦る。  弁当が出てきた。これは母親が作ってくれた弁当だ。しかも、遠足や運動会などの特別な時に作ってくれる弁当だ。  卵焼きにウィンナー、ミートボールに唐揚げ。俺の好きなものばかりだ。俺は母親の弁当を食べながら、楽しかった思い出を噛みしめる。  あと四本。    チャーハンが出てきた。俺が受験生の頃、よく夜食に母親が作ってくれた。当時は、当たり前のことのように感じたが、夜中、俺が起きている間、母も寝てなかった、っというっことだ。昼間、仕事をして、帰ってからは家事。寝たいだろうに、寝るのを我慢し、俺のために作ったチャーハンを、俺はゆっくり味わった。  あと三本。  うどんが出てきた。俺が風邪をひくと、母は鍋焼きうどんを作ってくれる。付きっきりで看病し、俺の体を心配する。そして鍋焼きうどんのあとには、デザートでメロンを切ってくれた。いつもは食べれないメロン。優しい味だ。  あと二本。  オムライスだ出てきた。俺がおふくろの味として一つあげるとしたら、このオムライスだ。どんな店で食べても、母親のオムライスより、美味しかった、っと思うものはなかった。俺は、唯一無二の味を味わった。  あと一本。  俺は、最後のマッチを擦った。引き返すことはできなかった。  俺の目の前に、母親がいた。母がおにぎりを握ってくれている。俺はそれを豪快に(むさぼ)る。母はニコニコ笑っている。    「何がおかしいんだよ」と俺は訊いた。  「おかしくないよ、嬉しいんだよ。お前がたくさん食べてくれることが」と母親は答えた。    「なんだよ、それ」と俺は素っ気なく言い返し、そのまま、おにぎりを頬張った。    俺はおにぎりを頬張りながら、ある事に気が付いた。  マッチを擦りだした前半は、俺の欲望という夢だったが、残りの半分は、俺の思い出という夢だった。っということは、俺のあんな人生でも、半分は夢を叶えてきたってことなのか?だったら俺が下らないと思っていた人生も、捨てたものではなかったのでは?と思えてきた。  でも時はすでに遅し、大きなおにぎりが、段々と小さくなるにつれ、オレンジ色の光も小さくなる。今までは、オレンジ色の光が消えると、白い空間になったが、今回は違う。今回は、だんだん暗くなっていく。  俺は悟った。これが死ぬということなのか、っと。そして、おにぎりを食べ終わると、真っ暗闇になった。  しかし次の瞬間、光が灯った。今度はマッチの光というより、蛍光灯の光みたいだ。そして白い空間が現れた。いままでは狭い場所だったが、今回の白い空間は、どこまでも広かった。上も下も横も真っ白で、どこが境なのか分からないほどだ。  その白い空間に、俺の知らない人が大勢いた。俺の知らない人たちは、涙ながらに俺に感謝を述べていた。  「ありがとう」。「どうも、ありがとう」。「あなたは命の恩人です」。  俺の知らない人たちは、お礼を言いながら、俺に握手を求めてきた。俺はこんなに人から感謝されることは、今までになかった。そして、今、この瞬間が、生きてきた中で一番、幸福感に満たされていた。いや、生きてきた中だけでなく、マッチ百本擦った中で一番の幸せだ。  突然、テレビの電源を消すかのように、暗闇が白い空間をシャットダウンした。    「これ・・・が、・・・死・・・か」  俺に、もう光が灯ることはなかった。 ******** 人生の意味を見つけられない時、人は快楽で自分をまどわす。 ヴィクトール・フランクル (墺:精神医学者『夜と霧』)
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