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海瀬の両親は共働きだ。中学生になる頃には忙しくて、家族はバラバラに朝食をとるようになった。食費も合わせて多めに小遣いをもらっていたため、昼食は学食。夕食はコンビニか近所のレストランだ。
昼時は周りに友人もいたが、朝夕はそんな感じでいつもひとりご飯だった。幸い学校から家までの帰り道にレストランも複数あったし、新規メニューを開拓する楽しみもあった。だが、ふいにひとりで食べる味気なさを感じてしまう。海瀬が萩森紬と出会ったのは、ちょうどその味気なさを感じていた高校生の時だった。
文化祭を目前に学校はお祭り一色。二年生はクラス毎に出し物を決めなければならず、海瀬のクラスはお好み焼きを屋台で販売することに決まった。
お祭りと言えば! そんな誰かの安易な提案だったが、蓋を開けてみるとお好み焼きを作るにはそこそこに調理工程がある。全員、口にはしないが大なり小なり不安を感じていた。そんな不安の蔓延るリハーサルで、見事に作り上げたのが萩森だ。
「美味しい……! 紬、天才!」
「当日は、みんなでこれを作るんだよ」
海瀬を含めクラスメイトたちは萩森に活路を見出した。何より、彼女の作ったお好み焼きの美味しさに元気が湧いてきたのである。
「大丈夫、焼いてるうちに慣れてくるから!」
その萩森の一言がさらに周りを奮い立たせた。食材の下準備から焼き方、そしてパックへの詰め方まで萩森を主動に全員が覚えた。
おかげで文化祭当日は大盛況。昼過ぎには完売した。
屋台の片付け中、たまたま海瀬と萩森は一緒にゴミ捨て場へと連れだって歩いていた。二人はそれほど会話したこともなく、名前を知っている程度だったのだが、何となく無言のままも気まずくて、海瀬から口を開く。
「萩森って、結構料理するの?」
萩森は海瀬の言葉を待っていたように、すぐに応える。
「するよ。弁当も自分で作ってる」
「マジで⁉ すごいなぁ。だから手際もよかったのか、美味かったし」
弁当を自分で作るという考えもなかった海瀬は素直に驚いた。その驚きように、くすくすと萩森は笑う。
「リハーサルの時、海瀬くんが一番食いつきよかったもんね。あのお好み焼き」
「えっ、そうだった?」
「ソースを口の端につけたまま、美味しそうに食べてて嬉しかった」
まさかそこまで見られていたとは気付かず、海瀬は気恥しくなって視線を逸らす。それからゴミ捨て場までちらほらと会話を続けていたが、今度は萩森が驚きの声をあげた。
「えっ! じゃあ、海瀬くんって晩ご飯はほぼ外食なの?」
「前に自分で作ろうとしたらボヤ騒ぎになってさ。それ以来キッチンは出禁」
「じゃあ……私が晩ご飯にお弁当作ってあげようか?」
萩森の申し出に、海瀬は目をぱちくりと瞬かせた。あまりにも海瀬にとって都合のよすぎる言葉だっただけに、聞き間違いかと思ったのだ。
萩森の美味しい料理をまた食べられるなんて、と食いしん坊な海瀬が顔を覗かせる。しかし、そこまでのことをしてもらう理由が海瀬には思い浮かばずに首を傾げた。
「そんなのすごく大変だろ? 嬉しいけど、なんか……申し訳ないっていうか」
「私、料理人になるのが夢なの」
夢、と何の躊躇もなく萩森は言い切った。そのキラキラした声音に、海瀬の心臓がドキッと跳ねる。
「だから、誰かに私が作った料理を食べてもらって感想を聞きたくて……ほら、家族だと忖度があるというか、味の好みって似ちゃうでしょ? もっと第三者の意見が欲しいの。で、海瀬くんはいっぱい食べるし、私も作り甲斐があるっていうか!」
一気に捲し立てるように喋る萩森に、気付けば海瀬は圧倒されていた。萩森ってこんなに喋るんだ、とその時海瀬は初めて知った。
丸い目が弧を描くように細められて、白い歯が惜しげもなく零れる。無邪気にも見えるその笑顔が、海瀬にはとても可愛らしく見えた。
「じゃあ、無理しない程度にお願いします」
「こちらこそ。ちなみに嫌いな食べ物はある?」
そんな約束を交わして、文化祭は幕を閉じた。
祭りの装飾が消えた教室には元の日常が戻ってくる。萩森と約束は交わしたものの、その約束はいつから開始されるのかという具体的な話を決めていなかった。そのため、海瀬は普段通りの顔を装いながらも、内心ドキドキしながら萩森の動向を見守っていた。
今日は弁当があるのか、さすがにこんなすぐには用意してこないだろうか。渡してくるとしたらどのタイミングなのか、というかそもそも、萩森はあの口約束をちゃんと覚えているのだろうか。もしかして、期待しているのは自分だけ? などと海瀬は悶々としながら一日を過ごす。
結局、帰りのホームルームが終わっても、萩森から話しかけてくることはなかった。今日はあの約束はなさそうだと、海瀬が諦めて帰ろうとしたその時だった。
「はい、じゃあこれ。今日の分の晩ご飯」
萩森は海瀬のために巨大な弁当をちゃんとこしらえてきていた。きょとん、とする海瀬に萩森は訝しげに目を細める。
「もしかして、約束忘れてた?」
「えっ! いや、違っ……!」
海瀬は早口で呟きながら、咄嗟に萩森の手ごと弁当の包みを掴んでしまう。
「「あ」」
じわっと手に熱が籠って、思わず二人共が弁当から手を離した。
落下する弁当を、海瀬はギリギリでキャッチする。
「あ、危なかった! 俺の晩ご飯!」
「ふふっ、さすが食いしん坊」
ほっとしたせいか、手に触れてしまった気まずさも吹っ飛んで顔を見合わせて笑う。
「えっと、じゃあ……美味しく食べさせていただきます」
「うん、感想よろしくね」
帰りの通学路を海瀬は自転車で爆走した。早く帰って弁当を食べたい、とペダルを踏む足にも力が籠もる。
家に帰りつくと、制服を着替える間も惜しくて誰もいないダイニングで弁当の包みを広げた。巨大に見せていたのは、味噌汁の入ったスープジャーのせいだった。さらに、弁当の上には一枚のメモが添えられている。
『今日はのり弁にしてみました』という萩森のさらりとした手書きの文字を海瀬は食い入るように見つめた。『今日は』という言葉に、これっきりじゃないのだとつい胸が弾む。
メモをそっとテーブルに置いて、ゆっくりと弁当の蓋を開く。しんなりした海苔という艶やかな台の上に、揚げ物たちが豪快に乗っていた。そのボリュームは決して下品すぎず、ちょうどいい塩梅で海瀬の食欲をそそる。
揚げ物が嫌いな男子高校生がいるだろうか。海瀬の答えは否、だ。それにしても、白身魚やコロッケなど、海瀬の好きなもので弁当は満ちている。
「なんか、俺の好みバレてる気がする……」
文化祭の時に萩森は海瀬に食事の好みをいくつか質問していた。あの質問からこの弁当を考えてくれたのだろうか、と思うと海瀬は頬が熱くなった。
「これは、ちゃんとした感想を返さなければ……」
海瀬は改めて、萩森の夢を応援すると決めた。よく噛み、舌で味わい、鼻に抜ける香りを楽しんで、スマホのメモ帳に感想を綴る。海瀬は自分の語彙力のなさに打ちひしがれながらも、丁寧に自分が感じたことを伝えたかった。
そうして食べるひとり飯は、不思議とひとりじゃないような心地がした。こんなにも目の前の料理に夢中になるのも、海瀬には久しぶりの感覚だった。
高校三年生になってクラスが分かれても弁当のやり取りは続いた。まさに受験が迫ってきた時、海瀬はいつも通り弁当を持ってきた萩森に重々しく口を開く。
「さすがに萩森も受験あるだろ? 東京の調理師専門学校受けるって。俺の分まで作ってたら負担になるだろうし、もうこれ以上は……」
頼めない。昨夜からそう言うと決めていたはずなのに、海瀬は口を閉じてしまう。
弁当のやり取りは、萩森の夢を応援するためだった。それが、彼女の夢のための重荷になるなんて本末転倒もいいところだ。
だが、このやり取りがなくなったら萩森との関係はどうなってしまうのだろう、と海瀬は口を開けずにいる。
このやり取り以外、接点のない二人だ。また、喋らない関係に戻ってしまうのではないだろうか。萩森の料理が食べられなくことよりも、今はそちらを惜しむ気持ちが海瀬の中で強くなっていた。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「何を?」
「私、AO入試受かったよ」
「は?」
そんな話、海瀬は一言も聞いてなかった。確かに二日ほど萩森が学校を休んでいる日があったが、もしやあの時が入試だったのだろうかと何も気付かなかった自分に愕然とする。
「そ、その間も弁当作ってもらってたとか……俺ってやつは……!」
「だから受かったんだって。海瀬くんのおかげだよ、正直にいつも感想くれて、すっごく勉強になった。実技試験も海瀬くんに作ってるつもりでやったら全然緊張しなくて……」
そこまで言って、はっと萩森は顔を赤らめる。
「と、とにかく! そういうわけだから、これからも作るでいいよね?」
「萩森がそれでいいなら、もちろん……俺だってこの関係なくなるの嫌だし、もう萩森の晩ご飯なしの生活って考えられないし……」
そんな海瀬がその申し出を断るはずもなかった。
そうして安心していると、萩森は目を真ん丸にして海瀬を見つめている。
「どうした?」
「なんか、プロポーズみたい」
「~~……っ⁉」
海瀬の口から声にならない叫び声が溢れた。恥ずかしさで逃げ出しそうになった海瀬を、萩森がぐっと制服の裾を掴んで引き留める。
「それってさ……高校卒業したらどうするの?」
「えっと……じ、実は俺も、東京の大学目指しててさ」
「!」
萩森の頬が桜色に染まる。期待の込められた視線に、海瀬は必死に言葉を探した。
「だから、向こうでもその……仲良くしてくれたら、嬉しい」
「それは、ただの同級生として?」
「っ……!」
顔を覆う血管内で血が沸騰しているのかのように海瀬は顔を赤くした。海瀬につられるように萩森もますます頬を染め、互いに逸らしそうになる視線をギリギリで絡ませ続ける。
海瀬は萩森に向き直り、人生で初めての状況に脳みそをフル回転させた。しかし、ただただ空回りして煙と摩擦熱だけが発生し、余計に思考を曇らせてしまう。
「は、萩森の、かかっ、彼氏としてでも、いいですか!」
なんて、ストレートなのかストレートじゃないのか分からない、予定にもなかった告白をしてしまった。
だが、萩森は十分にその言葉に満足しているようだった。満面の笑みに、ひとさじばかりの照れを塗す。
「うん、いいよ」
そして、晴れて二人は恋人となった。高校を卒業する頃には、海瀬の中で萩森は紬に。紬の中で海瀬は下の名前である親佳(ちかよし)からとって、チカくんと呼び合うようになった。
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