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海瀬も無事に大学に合格し、二人は上京した。それぞれ一人暮らしをしていたが、時間を見つけては互いの家を訪れ、海瀬が卒業して就職する時には自然と同棲の話が出た。高校の時からの関係を知っていた両親は、二人がいいなら、と同棲を許可してくれた。
同棲も始まって順風満帆。周りからも結婚は秒読みだと持て囃される。結婚祝いは何がいい? とまで聞かれて、海瀬と紬も「それなら……」とふざけて欲しいものを考える。今の生活で足りない家電や家具を並べて、これなら予算内、なんて友人と笑い合った。
海瀬は初任給を親との食事会にあて、それ以降の給料と大学時代のバイトで少しずつ溜めていた貯金を使い、婚約指輪を買った。
高校生の時に意図せずプロポーズのようなことを言ってしまったが、同棲をしたからにはきちんと結婚したいという意思を紬に伝えておきたかった。友人から結婚の話題が出る度にそわそわしていた紬だ、きっと結婚という将来を見据えていないはずがない。
それに以前、酒に酔った時にプロポーズはロマンチックがいい、とも言っていた。指輪のデザインも、紬が好きなものを選べた気がする。プロポーズ当日は、紬が気になると言っていた少し高いレストランに行って、デザートの時にでも渡そうか。お店側に頼めばサプライズをしてくれるという話も聞いたし、それもアリかもしれない。
海瀬は考えるほどにドキドキと鼓動が大きくなって、心臓が脈動する度に肌が震える。ジュエリーショップから家に帰る間も、何度も鞄の中を覗いてちゃんとそこにある指輪を確認した。同棲しているマンションの玄関前に着いて、もう一度だけ指輪を確認する。
まだこの指輪のことを悟られるわけにはいかない。平常心、と言い聞かせつつ、紬に気付かれないよう決行日までどこに隠そうか、とやはり海瀬はいっぱいいっぱいだった。
改めて覚悟を決め、海瀬は玄関のドアノブを回す。
「ただいま」
部屋の中は暗かった。ジュエリーショップに寄ったため、いつもより帰りが遅くなってしまった海瀬は、紬の方が先に帰っているだろうと予想していた。だからこそ、遅かったね、と聞かれた時の理由も三つほど考えていたのだ。
しかし、紬もまだ料理人として修行中の身。今日の片付けや明日の下準備などで帰りの時間が変わることもよくある。いつものことだろうと、海瀬は気にせずに靴を脱ぎ始めたその時だった。
スマホが震える。仕事の電話かとすぐに出ると、向こうは開口一番、警察だと名乗った。
『こちら、海瀬親佳さんのお電話でしょうか?』
「そう、ですが……?」
警察からの電話なんて何の身に覚えもなく、つい声が硬くなってしまう。
『萩森紬さんがバイクとの接触事故で××病院に。今すぐ来られるでしょうか?』
「え……?」
頭が真っ白になった。落ち着いて聞いてください、と警察官の声が右から左に流れていく。事故の状況、紬の容態、そしてバイクの運転手は運転中にくも膜下出血を起こしていて、すでに死亡したことなどが告げられていく。
『萩森さんは幸い、命に別状はありません』
その言葉だけが、海瀬の耳に残った。指輪のことは、すっかり頭から消えていた。
海瀬が病院へ向かうと、奇跡的に紬に外傷はほとんどなかった。転んだ時にできた擦り傷と、頭を打った時の軽い出血で済んだらしい。すぐに退院できると聞いて、海瀬はほっと胸を撫で下ろしたのだった。
そして翌日、念のためと海瀬は有給を使って紬に付き添っていた。
「ねぇ、チカくん……」
ベッドの上に座っていた紬が、呆然と目の前の病院食を見つめる。
「これ……味が、しない、よ?」
検査の結果。頭を強く打った衝撃から、紬は味覚を失っていることが判明した。
医師からそう告げられた時、紬の隣にいた海瀬は胸を抉られるようだった。紬に触れようとしたが、不用意に手を添えればそのまま崩れてしまいそうな彼女の肩を見て、何もできないまま腕を引っ込める。
紬は泣かなかった。ただ静かに、
「治りますよね?」
と尋ねた。医師は一瞬、苦しそうに眉根を寄せる。
「時間の経過と共に、少しずつ治っていく可能性があります。ただ、そうでないケースもあります……今は、どちらとも言えません」
「治る可能性があるんですね」
そう改めて尋ねた紬に、医師は小さく頷き返すだけだった。
治るかもしれない。
それは希望のようで絶望だったのだと、海瀬は少しずつ思い知っていく。
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