野蛮な盆栽

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野蛮な盆栽

 寝屋に響くのは女の爪が削れる音。 だれかに裏切られるのが怖いなら、裏切れなくしてやればいい。寝屋の外に控える女中や乳母の奈津に悟られないように、僕の帰りをひたすら待ち続けた健気な女の爪をやすりで削ってやる。 やすりで削ぎ落とした伸びていた白い爪は桜の花弁の欠片ののように美しい。 家名のため、家の隆盛のため、家の生き残りのため。田端家に忠誠を誓う証として、有無を言わせず人質同然で嫁がざるをえなかった女。優しく指先を撫でて爪の手入れをしてやると、頬を染めて恥じらう。 ーいじましく、愛らしい女だー  片手の五本の爪を整えたところで、女はくすぐったいのか鈴の音のような可愛い声で笑う。 手も足も、女の爪を二十本整え、薄い爪の花弁の欠片を「収穫」した。漆塗りの小盆にその粉のような爪欠片を並べた。桜貝のような小さな爪から削り落とされた欠片は、星の砂のようにキラキラと輝いていた。 大人しく淑やかで優しい女だ。もしも子をなしたら、最初から乳母に育てさせよう。良い母になりそうな女だからこそ、傷つけたくない。  子がいつか生みの母と引き離される悲しい運命なら、最初から乳母が育てた方がいい。 「若、指をしゃぶったり爪を嚙んではいけませんよ。ほら、爪がギザギザでこんなに痛そう」 母上の懐かしい声がする。 「だって寂しい…から…」 まだ数え三つの頃の僕が泣きじゃくる。 「あらあら、泣き虫さんね。そんなに寂しいなら母の爪を嚙みなさい。若の柔らかい小さな爪が痛むのが辛いわ。ほら、泣かないの」 母の指先、薄紅色の桜花弁のような爪…。幼い頃に母の爪をよく齧っていた。  父上に遠ざけられた母上とはお目通りがなかなかかなわない。父上は僕が軟弱でひ弱になり甘やかされると母上と会うのを禁じている。 契りを交わした女の爪を整えてやった。その削り落とした爪の欠片を見つめながら泣いた。いつか父を殺し、腹違いの弟の朱鷺松と側室の安紀の方を殺す。 必ず、母上を救い出して取り戻してみせる。  夜明けまで僕は、螺鈿細工が施された木を模した黒い飾り物に女の爪の欠片を貼り付けていた。欠片は美しい桜へと変わった。 寝屋を出て、その飾り物を寝ぼけ眼の乳母の奈津に見せてやった。 「奈津、見事な桜だろう?」 奈津は一瞬だけ顔をひきつらせた。しかし、その桜の正体に気づいたのか、不適な笑みを浮かべる。 「ええ、見事な桜でございます。ですが若様、誰も信じてはなりません。この乱世、牙の一本でも情けで残してやれば女に寝首をかかれます。爪を整えてやったのですか?嬉しそうにあの女は自分の指先をずっと眺めていましたよ。初陣でご立派な武者になられました。しかし、くれぐるも油断されぬよう」 奈津は、艶かしく咲く薄爪桜をまるで自分の戦利品のように誇らしく高く掲げて眺めていた。   
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