7.俺は何もしていない

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 アヤメの部屋に戻った直久は、その扉の前で、アヤメの他に誰かいるということに気が付いた。ドアノブに伸ばした手を思わず引っ込める。 「最後の思い出を作って差し上げたいのです」  部屋の中から聞こえてきた声は低く、明らかにアヤメのものではない。青年の声だ。 おそらく時也だろうと直久は推測する。 「ツバキさんのためにも、あなたのためにも、その方が絶対にいい」    力強く言い切った彼に、アヤメは飛び切りの笑顔で頷いていた。 「では、今晩」 「はい」  直久が躊躇った扉が、時也の手によって開かれる。彼は直久を無視するように、すぐ側を通り過ぎていった。  入れ替わるようにして部屋に入った直久は、先程の笑顔の『え』の字の欠片もなく、暗い顔を見せているアヤメに歩み寄る。 「彼は?」 「時也さんよ」 「やっぱり。で、なんだって?」  アヤメは近寄ってきた直久に一瞥し、すぅっと離れるように歩き出す。  一人で寝るにしては大きいベッドに腰掛けると、後を追ってきた直久を上目遣いに見つめた。 「深夜にお茶会ですって。あの部屋で、ツバキのために」 「お茶会?」 「深夜に二人きりで会うのは、さすがに気が引けたのでしょ。第一許しが出ないわ。二人で逃げるのではないか、ってね。私を引き込んで、許しを貰ったに違いないわ。ツバキと最後の別れを惜しむために。……ひどい人ね」  ひどいと分かっていても、どんなに傷つけられても、彼の前では自然と笑顔で答えてしまうアヤメが、哀れだった。  覚悟を決めたようで、アヤメはベッドから立ち上がると、タンスの中からお気に入りの服を何着が引っ張り出し、ベッドの上に並べた。
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