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アヤメは、今、その壁を破り、ツバキになろうとしているのだ。
直久の目に、アヤメがツバキのカップに紅茶を注いでいるのが映る。睡眠薬を入れている手の動きまでも。
【改ページ】
▲▽
アカネが姿を見せたのは、その時だった。
「あら、どうしたの? アカネ」
「時也に用があるんだ」
「僕に?」
なんだい? と歩み寄った時也の腕を、アカネが引っ張る。
「ちょっと来て。僕の部屋で変な音がするんだ」
「へんな音?」
アカネのその行動は、アヤメの指示通りであった。 そして、その思惑通りに、時也が部屋を出ていってすぐに、ツバキの躰が傾いた。アヤメはツバキの側にしゃがみ込み、眠りに落ちていくツバキの服を脱がせる。
「私がツバキよ。アヤメの振りをして時也さんと逃げるの。あなたはアヤメ。ツバキに騙されて、身代わりにされた可哀想なアヤメ」
最後の方は、堪えきれずに溢れた笑い声になっていた。
ツバキの服を自分で着ると、自分の服をアヤメに着せる。
「アヤメさん」
廊下に出ていた直久は、時也の戻ってくる姿を見つけ、アヤメにそのことを知らせる。
アヤメはしずしずと部屋から出てきた。
その表情は、アヤメに対してすまないことをしたというツバキの後悔の表情だった。
「……時也さん」
「ツバキ、アヤメさんは?」
時也の問いかけにアヤメは、ゆっくりと首を縦に振る。これに頷き返し、時也は上着から銀色の鍵を取り出した。
カチ。
小さい音が鳴る。
「さあ、行こう」
差し出された時也の手をアヤメは、本当に本当に、嬉しそうに受け取った。
二人は駆けだした。
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