7.俺は何もしていない

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 すれ違いざまに、ありがとう、というアヤメの声が聞こえた気がして、直久の膝がガタガタと震えた。  妙にその言葉が、その響きが、後を引く。 「ありがとうだなんて……」  ――俺は何もしていない。  複雑な想いで、アヤメと時也の、みるみる小さくなっていく後ろ姿を見つめる。  本当にこれで良かったのだろうか? これで少女の霊の憂いを晴らすことができたのだろうか?  でも、だったら、なぜ? どうして元の場所に戻れないんだ?  ――憂いが晴れてないから?  やっぱり俺はまだ何もしていないんだ!  直久は爪が手のひらに食い込むくらいに強く拳を握りしめた。  これからなんだよ。これから何かしなきゃいけないんだ! 俺が、きっと!  直久の躰は、直久が何か考えるよりも早くアヤメの姿を追って駆けだしていた。  アヤメさんはアヤメさんじゃないか。一生ツバキの振りをし続けるなんて無理に決まっている。アヤメさんはツバキじゃないのだから。  やめさせよう、そんな馬鹿なこと。  アヤメと時也を追い駆ける直久に、おそらく、この冬最後の雪がハラハラと舞い降りた。
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