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かれもディアナ同様にもどかしさを感じていた。例えば……ことばを巧みに駆使し、あいてのきもちと重なることはできるかもしれない。けれど、心に影をおとすソースの過去まで駆けより、つらい記憶を塗り変えてあげることはかなわない。
(どうして今頃、ぼくはディアナと出逢ったのだろう。もっと早く運命が作用してくれたら。かのじょのなみだを晴らしてあげられたかもしれないのに)
ディアナが極めてパーソナルな問題を抱えていることは――この十日間――ずっと察していた。ヴラドは考えあぐねていた。どうしてかのじょは話してくれるだろう。そもそも、何を望んでいるのだろう。かのじょさえ許してくれたら、迷わずとび込んでしまえるのに。
「あの子は夜行性で、月の甘い吐息を吸いたくて時々あらわれるの」
きゅっと結ばれていた、ディアナの紅梅の花のような唇がひらく。
「だけど、わたしに気づいたらすぐに逃げてしまう。あそこから《ミーミルの泉》に近づくことはないし、わたしに用があるなんて……そんなの、ありえない」
あるはずがない。それは疑いの余地などない、昭然たる事実。ディアナは泉の水面にむかって、ぽつぽつ言葉を紡いでいく。心持ちはうつろで、果たして口にしているのか心中で巡らしているだけの言葉なのか、区別がついていなかった。
(だって、わたしは泉の番人。ひどく美しい呪いに縛られた、しがない妖精。《黒い森》の生きものにとって忌むべき存在……)
愛されないのは慣れっこだった。それは揺るぎない本音。みずからの出自について今さら苦言を呈するつもりも、ない。この森と、森に暮らす動植物たちに疎まれることはしかたのない話なのだ。
(だけど。だけど……)
それをヴラドに知られるのは嫌だった。ほんとうは、ずっと隠していたかった。なにも気づかず、きれいな上辺だけを見て、わたしと関わってくれたらよかった。
(もし、かれにも嫌われたら――)
ディアナは臆病になっていた。想像しただけで、想像のとおりになりこの関係を失ってしまうことが、こわくて堪らなかった。
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