それは僕らが満たされるまで

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「今を生きる。だから世界は美しいんだ!」  にっこりと笑う君の顔は、輝いて見えた。それは僕にはまぶしすぎる。 「小さなことから始めてみようよ。1日ひとつ、『美しい』をみつけよう」 「それを繰り返していけば、最期の時は美しかったものであふれているよ!」  死にたい。  そうつぶやいた僕に、君は光を差し伸べた。  例えば、道端に咲いていたたんぽぽが可愛いとか、見上げた夕日がとても綺麗だったとか。『美しい』はなんでもいいらしい。  死ぬまでそれを続ければ、いずれ終わる。先の見えない終わりのために、今日も僕は『美しい』を探す。  最初は窓から差し込む朝日だった。  シーツに照らされる光と窓の影をずっと眺めた。でもそれは時間とともに美しくなくなる。  この温度は、この明るさは、美しくない。  次は氷だった。  水に入れた氷の音にハッとして、ずっと眺めていた。音がよかった。水に溶け込む不思議な色がよかった。  でもそれは解けたのだ。水になったら美しくない。  あの後何度も水に氷を落としてみても、同じ『美しい』ではなかった。  その次は花だった。  中心に向かって細長い花弁がついている花。自然の形がこんなにも幾何学的に、正しい円を織りなしている。正確に、ひとつずつ認識していく。  あたりを見渡せば、まるでコピーしたように同じ花がいくつも咲いていた。同じ情報の個体なのだ。同じ『美しい』が並ぶ様子を初めて見た。  その花をいつまでも眺めていた。鮮やかな色はやがて褪せていき、色を失った。風が吹けば、花弁が落ちて形を失った。それは、美しくなくなった。  僕はその花を眺めることをやめた。初めて手にしてみたのだ。そして、自然に失われる前に、その花弁を一枚、一枚ちぎってみることにした。 「死ぬ、生きる、死ぬ、生きる……」  つぶやくごとに、美しさが減っていく。自らの手で、なくなっていく。見守ったとしても、この『美しい』は奪われるというのに。  時間が嫌いだ。僕から『美しい』を奪う。同時に時間は死ぬまでの待ち時間なのだ。  死に近づけると思うと胸が高鳴った気もしたが、その速度は残酷なまでに不変で一定だ。  速足で近づいてくれてもいいのに。そう思いながら、僕は今日も『美しい』を探す。 「毎日1つずつ、好きなものが増えていくだろ?人生が大きな空っぽの瓶だとしたら、中にたくさん宝物を入れることができるね!」 「……いっぱいになったら、どうするの?」  珍しく問いかけた僕に君はきょとんとした顔をして、そして。  花がほころぶように柔らかく笑いかけた。 「それは君の人生が満たされた時だよ」 「僕が……満たされる?」 「そう!好きなものに囲まれて、僕らは旅立つんだ」  宝物で瓶が満たされるというのなら、僕の瓶はもういっぱいなんだ。  君が僕に笑いかけたあの日から、僕は最期を待っているというのに。  『美しい』を見つけるたびに溢れて、減った分をまた見つけては満たすことの繰り返し。  溢れ落ちた『美しい』は、きっともう僕にとって『美しい』ではない。  あの時僕を満たした『美しい』君が、いずれ時間によってそれを奪われる。  時が続いてしまうから、あの時の『美しい』がなくなっていく。  目的がないままに集めた、ちっぽけな感情ですら。心を奪われ眺めた時間さえ嘲笑うかのように。 「僕はもう、満たされたんだ」 「え?」 「ここでいい。この先はいらない。今この一瞬が切り取れるなら。僕は瓶をたたき割ってでも」  その『美しい』が欲しい。
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