別れの夜

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別れの夜

 夫との離婚が成立して四日後の土曜日、私は大切な話をユウくんにするつもりでいた。  デイサービスの仕事を終え、ユウくんの部屋に向かう。  彼は少し遅れて来ることになっている。  ちゃんと言えるのだろうか。  別れ話。  まあ、それほど深く付き合っていたわけではないから、本当はこんな話、必要ないかもしれないのだけど。  でも、ちゃんと話さなければ。  ユウくんはずっとミスズちゃんを忘れられずにいるのだから。  ミスズちゃんと瓜二つの私がそばにいれば、彼はますますミスズちゃんを忘れることができなくなる。  そんなこと、あの世にいるミスズちゃんも望んでいないはず。  きっとユウくんには、新しい彼女を見つけて幸せになってほしいと願っているに違いない。  私と会うのを止めて、ミスズちゃんを引きずる人生にも卒業してもらわないと。  ユウくんの部屋に入ると、私はさっそくパスタを茹ではじめた。  ユウくんは私より六歳も年下。まだ若いから、ちょっと多めに麺を茹でる。  ナスとベーコンを炒め、アルデンテの麺にそれを絡め、コンソメスープの素を入れる。  これに昨日作った自家製オイルサーディンと塩バターパン。あと、赤ワイン。  少しアルコールが入った方がちゃんと言えるだろう。  そういう計算だった。 「ただいま」  ユウくんの声。  玄関のすぐそこが部屋で、奥にユニットバスと電磁調理器。  だからドアを開けたユウくんの姿が、すぐに私の目に入ってくる。  パスタを作っていても、あわてて靴を脱ぐユウくんの姿がすぐに私の視界に入ってくる。 「あっ、パスタを作ってくれたんだ。それに赤ワイン」  小さなテーブル、いやテーブルと言うより小さな台だ。  その上に、パスタとオイルサーディン、ワインを乗せる。それだけで台いっぱいになる。 「さあ、乾杯しましょう。仕事疲れたでしょ」 「はい」  ユウくんはそう言うと、こんな言葉をつぶやいた。 「あの時と同じだ……」 「うん? どの時と同じ?」 「いや、何でもありません」とユウくん。  私はホームセンターで買ってきた安物のワイングラスに赤ワインを注ぐ。 「こういうグラスは頑丈にできているから、クリスタルよりずっといいのよ」  聞かれてもいないのに、グラスの説明までする私。  さあ、話さなきゃ。別れ話。 「ねえ、ユウくん」  彼がバスタを口に入れている時、私は切り出した。 「もう、私たち、会うのを止めにしない」 「やっぱりそうだ。あの時と同じだ」  ユウくんは訳のわからないことを言う。 「あの時と同じ?」 「はい」  そう言うとユウくんは昔の話をはじめた。 「僕はミスズが亡くなる一週間前にケンカしたといいましたね。その時と料理がまったく同じなんです。その時も、ミスズは僕の部屋でナスベーコンのパスタを作ってくれて二人でワインを飲んだんです。しかも手作りのオイルサーディンまで持ってきてくれて」 「どういうこと? ユウくん、その話、作り話じゃないわよね」 「嘘ではありません。本当の話です」  信じられなかった。  ナスベーコンのパスタが偶然一致するのは分かるが、手作りのオイルサーディンを作って持ってくる人なんて、世の中にはそうはいないはず。  過去に全く同じ調理をミスズちゃんは作ったということか?  偶然なのだろうか?  それとも何かに導かれた必然? 「で、そのときのケンカの原因は、ミスズが僕と別れたいと言い出したからなんです」  ユウくんはそんな話をしたのだった。
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