64人が本棚に入れています
本棚に追加
ユウくんと飲む
夫のいるマンションを後にし、私とユウくんは駅に戻っていった。ほとんど喋ることもできずに電車に乗り、私が住むマンションの最寄り駅にある居酒屋へ二人で入った。
よく考えれば、男の子と二人っきりで飲むなんて久しぶりだ。
これが、夫の浮気現場を押さえたあとじゃなかったら、ちょっとドキドキもしたし、楽しい気持ちでいられたのかも。
正直、ユウくんは職場の人気者だし、なかなかカッコいいし。
店員が誘導するまま、カウンターで並び合って座った。周りのテーブルでは酔った客たちが騒がしく話している。こんなザワザワした環境で飲む方が、今の私の心にはピッタリな気がした。静かな店で飲んでいると、酔っ払って泣いてしまうかもしれなかったし。
「なんか、みじめなところを見られてしまったね」
私は席につくと、さっそくそう話した。
努めて明るく言ったつもりだが、心の中は暗い洞窟の中をさまよっている。
「安心してくださいね。僕は絶対にこのことを人には話しませんので」
そうだった。
相談員は秘密を守ってくれるのだ。
じゃあ、明日からも私は職場に行けるということか。
このまま、太陽デイサービスで働いてもいいのだ。
そう考えると、ほんの少しだけホッとした。
ホッとするが、夫の浮気現場を押さえた事実は変わらない。
わかってはいたが、実際に目で見るとさすがにきついものがある。
「ねえ、ユウくんは今、付き合っている人はいないの?」
もう自分の話からは逃げ出したいと思った私は、適当なことをユウくんに聞く。
「いえ、いません」
即答だ。
そりゃそうかもね。
毎日忙しそうに働いているから。
でも、ユウくん、なかなかの男前なんだけどね。
女の子が放っておかない気もするけどな。性格も良さそうだし。
「女の子と付き合ったことはあるでしょ?」
「えっ!」
かわいいとこあるじゃない。ドギマギしているよ。
「ねえ、どんな女の子と付き合ってきたの? 私に教えなさい」
ちょっと私、レモンサワーが回ってきたのかもしれない。暗い気持ちの反作用もあって、口がなめらかになっている。
「いや……」
「なに? もしかして今まで女の子と付き合ったことないのかな?」
もうただの酔っ払いだ。
嫌なことを忘れたい一心だということで許してもらおう。
「いや……、付き合ったことはあります」
「あるの?」
「ええ、でも……」
「でも何?」
「その人とそんなに深くは付き合えなかったのです」
深く?
意味深な言葉に私は飛びついた。
「そういう関係にはならなかったということ?」
これじゃあ、ただのおばさんだ。
「その子と、キスはしたの?」
「一度だけキスしたことがあります」
「一度だけ? じゃあ、すぐに別れちゃったんだね」
「別れたというか……」
ユウくんも酔ってるのか、いつもより口が軽くなっている気がする。
「その子とはどうなったの? 今はその子、どうしてるの?」
私の矢継ぎ早な問いにユウくんは黙り込んでしまった。
やっぱり、ちょっと無神経だったか。
そんなことを思っているときだった。
ユウくんの口からびっくりするような言葉が出てきた。
「その子、もうこの世にはいないんです」
「ええ?」
「その子、死んでしまって、もういないんです」
ユウくんはそう言って、レモンサワーの氷を回し続けるのだった。
最初のコメントを投稿しよう!