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家まで送ってもらう
「その子、死んでしまって、もういないんです」
ユウくんから出てきた言葉に私は息をのむ。
ユウくんが人生で一度だけ付き合ったという女の子は、死んでしまっていた。
「病気で亡くなったの?」
「いえ、それが……」
「病気じゃないの?」
「原因がわからないんです」
「わからない?」
「はい。急に亡くなってしまって。死因もご家族の意向で聞かされていないんです」
死因がご家族の意向で明かされていない。
私の頭の中に嫌な漢字二文字が浮かんできた。
親戚のおじさんが無くなった時、親から死因をはっきり聞かされず、不明の病気と説明されたことがある。でも、後で明かされた死因は自殺だった。その子が自殺だったのかどうかは、今の段階では分からないが、とても嫌な予感がした。
「亡くなる一週間前に会っているんですけど、その時は元気すぎるくらいに元気で……」
どうして?
どうして、こんな重い話を私に?
疑問をそのまま言葉にした。
「こんな、人には言いたくないような彼女の話を、ユウくんはどうして私にしてくれるの?」
「それは……僕も酔っているからです。女の人と二人で飲んでいて、かなり酔も回ってしまっているんです。それに、杉並さんの秘密を知ってしまった以上、僕も何か知られたくないことを伝えたほうがバランスが取れるのかなと思って」
そう言ってから、こう付け加えた。
「僕が今日話したことはナイショにしておいてくださいね」
「わかった。今日のことはお互いナイショにしておきましょう」
そのまま私とユウくんは話し続けた。
夫の話、彼女の話。
気がつけばレモンサワーを5杯も飲んでいた。
「そろそろ帰りましょうか」
ユウくんがそう言い、私もうなずく。
けれど……。
まずいと思った。
立ち上がろうとしてもうまくバランスがとれない。うまく歩くこともできない。
完全に飲みすぎてしまっていた。
もともとそんなに強くないのに、ヤケになって深酒してしまった。
「ユウくん、ごめん、冗談抜きでちゃんと立てない」
私はそう声を出すが、その声も呂律が回っていない。
「大丈夫ですか?」
そう言いながらユウくんは私の左脇に腕を入れ、持ち上げてくれた。
私の胸が、ユウくんの腕に当たっている気がした。
そこから先のことは、もうよく覚えていない。
ただ、マンションまでユウくんが送ってくれたことはぼんやりと覚えている。
それと……。
あのことも、ちゃんと覚えている。
川沿いの道をユウくんに支えられて歩いていたときのこと。
「ねえ、ユウくんは亡くなったミスズちゃん以外の女の子とはキスしたことないんでしょ」
「もう、何回同じことを聞くんですか。その通りです」
「じゃあ、ここで私とキスしようか」
「ええ?」
「私のホッペにキスしてくれる?」
「ホッペにですか?」
「そう」
「わかりました」
そう言ってユウくんは私のほほにチュッとキスした。
「ねえ」
私は酔っていた。
「今度は口にキスしてみない?」
シラフなら絶対に言えない言葉。
でもどこかでそう思っているから、こんな言葉が出てきたのだろうか。
ユウくんは黙っている。
酔っ払いのおばさんの言葉に困っているんだろうくらいに思っていた。
そう思っている時、私の体がぐっと引き寄せられた。
ユウくんの両腕が私の背中にまわる。
それからユウくんの顔が近づいてくる。
私は催眠術にでもかけられたように体が固まってしまった。
そんな私の唇に、ユウくんの唇がそっと触れた。
三秒くらいの出来事が、とても長く感じられる。
私の口、酒臭かっただろうな。そんな後悔が押し寄せてきた。
でも、ユウくんもお酒を飲んでいるんだし、お互い様。そう思うことにした。
「ねえ杉並さん」
また歩き出したユウくんが口を開く。
「来週の日曜日、空いてませんか?」
「なに? 予定はないけど」
「ミスズの家に行こうと思っているんですけど、一緒に付いてきてくれませんか?」
どうして私が、亡くなった彼女の家に行くの?
そう思ったけれど、なぜか「いいわよ」と返事をしていた。
こんな返事をするなんて、かなり酔っ払ってしまっているからだろう。
私はユウくんにもたれながら、川沿いの夜道を歩いて帰ったのだった。
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