ユウくんは恋愛ができない人

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ユウくんは恋愛ができない人

 ミスズちゃんの家でお母さんと話した帰り道、どんよりとした雲の下でユウくんは下を向きこう言った。 「やっぱりそうだったんだ。ミスズは僕が殺したんだ」  私に向けての言葉かどうか分からないような小さな声だったが、私にははっきりと聞こえた。 「どうして?」  私は足を止めて聞いた。 「お母さんも言っていたじゃない。あれは事故だったんだって」 「僕が殺したんです」  ユウくんはもう一度言う。 「亡くなる一週間前、僕とミスズはケンカしたんです。そしてミスズは……」 「ユウくん違う、違うよ。ケンカが原因でミスズちゃんが亡くなったんじゃないよ。あれは事故だったんだよ」  ユウくんはそっと笑ったけど、その顔は寂しげだった。  ユウくんも、お母さんの事故だったという言葉をそのまま鵜呑みにはしていないのだろう。私だって分かる。ミスズちゃんが自殺してしまったんだろうということくらい。  それでユウくんは、ミスズちゃんを自分が殺してしまったなんて思っているのだ。だから、いままでミスズちゃん以外の人と恋愛できなかったのだ。  今までにキスしたのはミスズちゃんだけだと言ってたし。  そのあと、はじめてキスしたのはこの私。  ミスズちゃんとそっくりな私。  ユウくんは、私を見てミスズちゃんを思い出していたにすぎない。  つまり私は、ミスズちゃんの代わりってことだ。  そんなことを考えていると、頭の中で誰かの声が聞こえてきた。 (ユウを救ってあげて……。ユウを私から開放してあげて……)  ミスズちゃん?  とっさにそう思った。  ミスズちゃんの声が私の頭の中に届いているの?  まさか、そんなこと……。  私はすぐに自分の考えを打ち消す。  やけにリアルに人の声が頭の中で聞こえてきたけど……。  そんなことがあるわけない。起きるわけない。  私自身が考えた言葉を、ミスズちゃんが言ったように思い違いしているだけだ。  私とあんなに似ていて、声まで似ていると言われているミスズちゃん。他人とは思えないミスズちゃんだから、自分の言葉を彼女のものだと勘違いして、頭で想像した声が聞こえたように思っているだけ。  けれど、それにしても、遠くから私の中に語りかけてくるような声だったけれど。  救ってあげて……、開放してあげて……、か。  確かにユウくんを助けてあげられるのは、彼女にそっくりな私なのかもしれない。  そう考えているとまた。 (ユウを救ってあげて……。ユウを私から開放してあげて……)  またそんな声が聞こえてきた。  この声は、私のもの。  そう言い聞かせながら家路についた。   ※ ※ ※  家に帰っても夫はまだ出掛けたままだった。ガランとした部屋が私を出迎える。  夫は休日出勤だと言っていた。  本当にそうなのかもしれない。  けれど、私の頭の中ではあの女と会っている姿が浮かんでくる。  会社の同僚、橘という女。  そう考えると、なんとも情けない気持ちになってくる。  その程度のものだったんだ。  結婚式で私を幸せにすると誓ったあの言葉は、口先だけのものだったんだ。  ずっと亡くなった一人の女性を思い続けているユウくんとは大違いだ。  そのままじっとしていても気分が悪くなるだけなので、私は買い物にでかけ、夕食の準備を始めた。けれど、夫は家で夕食をとるつもりなのだろうか。せっかく作った私の料理も無駄になるだけなのではないのか。  案の定、夜遅くになり、夫は帰ってきた。  本当に仕事だったのなら、熱心なことだ。  私は夫に愛情のない夕食を出した。  夕食を作ることで、妻としての最低限の仕事はしたつもりだ。  どうして私は、こんな夫に食事を作ったのだろう。  ふと、自分の気持を考え直してみた。  たぶん心のどこかに、今の暮らしを壊したくないと思っている自分がいるのだろうか。  ただ、そのあたりの気持ちは、自分でもはっきりと言葉にできるものではなかった。  私の食事をひと目見た夫は、視線を食事からそらすとこんな言葉を口にした。 「あ、今日は外で食べてきたんだ。夕食はいらないよ」  心のどこかで予測していたことが実際に起った。 「食べてくるのなら、連絡してほしかった」  夫と女が二人で食事をしている姿が目に浮かんでくる。  私の中の導火線に火がついてしまった。 「あなた、橘さんという女性と会っているの?」  思わず言ってしまった。  言っていいのだろうか、言ったらすべてが終わりになってしまうのだろうかと思い、ずっと心に秘めていたこと。  夫は、私の言葉で一瞬目を伏せた。  謝ってほしい。  土下座して泣いて謝ってほしい。  そして涙を流して必死になって許しを請うてほしい。  しかし夫は違った。 「もう、俺たち、終わりになるのかな」  そんな言葉を私に投げつけてきたのだった。
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