最後の特攻

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 1945年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し連合国に無条件降伏した。戦争は終わったのである……と断言するのは、まだ早い。その後もソ連との戦闘は続いた。  アメリカとの戦闘も危うく続くところだった。  1945年8月15日正午の玉音放送の後、九州の航空基地から沖縄へ向け最後の神風特別攻撃隊11機が出撃した。指揮官は宇垣纒(うがきまとめ)海軍中将である。宇垣は特攻作戦を指導する司令官の一人だった。  特攻隊出撃の報を受け大本営は驚愕した。連合国には既に降伏を通告済みである。沖縄を占領する連合軍は、日本が降伏したと知り、警戒態勢を解除していることだろう。そこを狙って日本軍機が奇襲攻撃してくるのである。このままでは第二の真珠湾攻撃である。リメンバー・パールハーバー・パート2である。太平洋戦争第二章の始まりである。さっきのは間違いです! と言っても信じる奴はいない。日本に騙された米軍の怒りは凄まじいものになる。もう一度、無条件降伏します! と土下座して、それで許してもらえるのだろうか? 甚だ疑わしい。  大本営にいた海軍軍令部次長大西瀧治郎(おおにしたきじろう)海軍中将は無断で出撃した宇垣に激怒した。降伏命令に従わず勝手に出撃した罪は万死に値する、とまで言った。  そうは言うものの、相手は死ぬ気で離陸しているのだから、扱いに困る。  慌てふためいた大本営は、ただちに特攻隊に無線連絡した――攻撃を中止し基地へ帰投せよ。  特攻隊からの返電は「既に燃料を半分以上使っており帰投は不可能」だった。  最寄りの航空基地へ向かえ! と言いたいところだが、九州以南は連合国の占領下にある。連合国軍に近づいたら攻撃だと誤解されるので、断じて近づいてはならない。しかし、それならば一体、どこへ着陸したら良いというのか?  大西瀧治郎その他の海軍首脳は苦渋の決断を下した。  大本営から最後の特攻隊に向けて最後の命令が打電された――連合国占領地域にある航空基地への着陸は認められない。我が国によるポツダム宣言違反を連合国側に一切気付かれず、連合国軍に何の被害も与えぬよう離れた場所へ不時着せよ。  そうは言われても不時着は簡単ではない。着陸したくても空港はない、あるのは海ばかりである。点在する島に着陸地点があれば良いけれど、着地に好都合な平地には大抵、連合軍が駐屯している。  かくして最後の神風特攻隊の大半は海に着水を試みて失敗し、その搭乗員たちは墜落死した。無事に着水できたとしても救助が来ないので溺死するしかなかった。宇垣纒が搭乗する特攻機は伊平屋島(いへやじま)に駐屯する米軍キャンプの近くに落ちた。宇垣の他に、同乗する操縦員の中津留(なかつる)達雄大尉と偵察員の遠藤秋章飛曹長が死亡した。  彼らは戦争のためではなく平和のために散った最初の特攻隊となった。  神風特別攻撃隊創立者の一人である大西瀧治郎は8月16日に割腹自殺した。
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