「blue season ~夏~」(2)

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「blue season ~夏~」(2)

「はじめまして。ブルーといいます。  このサイトは最近知りました。  もちろん書き込みをするのは初めてです。  わたしは今年で三十歳になるOLです。  こんなことをいうのは嫌味にとられてしまうかもしれませんが、わたしはいわゆる小さい頃から「優等生」でした。  学校での成績も良い方でしたし、学生時代は生徒会の役員もやっていました。親からも学校の教師からも信頼されていたと思います。  わたしは大学を卒業して、某大手企業に就職しました。今も勤続しています。  わたしの仕事は営業事務ですが、今ではその仕事をする若いコたちをまとめる責任者的な仕事も任されています。  彼は今年の春頃、派遣社員として、うちの会社のわたしと同じ課にやってきました。年齢はわたしより3つ下です。  彼はいろいろな会社を転々としてきたようでした。派遣会社に登録しながらも、他に就職活動をしてきたようです。やはり派遣社員よりも正社員になることを希望していたのです。  最初就職した会社では営業をやらされていたようなのですが、自分には向いていないと思ったそうです。あまり人と話すのが得意ではないと言うのです。  彼のイメージは確かに「もっそり」していました。話かけても反応がよくないというか、人の話を聞いてるのか聞いてないのか、よくわからないような態度をとることが多かったです。相手に「ぶっきらぼう」な印象を与えてしまうタイプだと思います。仕事でもこの態度では営業には向かないと、わたしにも理解出来るように思いました。  では、彼の事務能力はどうだったのかというと……。  彼と組んで仕事をしているコ(このコは以前からいた正社員です)が、わたしのところに相談にきました。あまりにも彼のミスが多くて、そのフォローで自分の仕事が出来ない、と。教えても教えても同じミスを繰り返す。あの人はやる気があるんですか? 大体、人が説明している時にも聞いてるのか聞いてないのかわからない。態度が悪すぎる……。  わたしは彼を会議室に呼び出して、話をすることにしました。  彼の言い分を聞いて、注意を促し、仕事を円滑に進められるように指導する……、気を遣う嫌な仕事です。でもわたしの役目なのでやらないわけにはいきません。  呼び出した会議室に彼はやる気のなさそうな態度で入ってきました。そして長テーブルを挟んで、わたしと向かい合わせの椅子に座りました。 「仕事、慣れましたか?」  わたしは声音をやさしくして言いました。  彼はそっぽを向いたまま、わたしの目を見ませんでした。そして何もこたえませんでした。 「こんなこと、えらそうに言いたくないけど」  わたしは言いました。 「人と話をする時には、相手の顔をちゃんと見るようにしたほうがいいと思うよ」  彼は上目遣いにわたしを見ました。そしてぼそっと言いました。 「あの……」 「はい?」 「俺、この仕事、向いてないような気がします」  口をとがらせて、モソモソとした口調でした。 「興味がもてないし、だから仕事も覚えられないし、一緒にやっている人に迷惑かけちゃうし、睨まれるし、そうすると居心地悪いし……」  無反応のわたしから目をそらし、呟くように続けました。 「俺、派遣会社に言って、他の仕事紹介してもらうようにしますよ。その方がお互いのためにもいいですよね?」  問いかけのようなことを言いながらも、そっぽを向いていました。 「じゃ、そういうことで」  彼は言いたいことだけ言って、席をたとうとしました。 「ちょ、ちょっと待って」  わたしは慌てて言いました。彼は立ち上がろうとする動作の途中で止まってわたしを見ました。 「そんな、そんな簡単に向いてないとか辞めるとか言わないで。もう少しやってみようと思わない?」 「いや、でも……」  彼は立ち上がるのを止めて、座りなおしました。 「だってあなた、今までの仕事も長続きしないで辞めてしまったんでしょう? 自分に何が向いているとか向いていないのかなんて、そのことに真剣に取り組まなくてはわからないものよ。あなた、真剣に取り組む前に諦めているでしょう?」  彼は拗ねたように口をへの字にしました。 「もう少し、ここで頑張ってみない? わたしも仕事、教えるから。ね?」  少し考えた後、彼はこくんと頷きました。  わたしはこの時、何故自分がこんなことを言ってしまったのかわかりません。この不況の世の中、能力があっても仕事が見つからない人はたくさんいると思います。やる気のない人には辞めてもらって、やる気のある、能力がある人に来てもらった方がいいと思います。  だけど、あまりにも全てに投げやりな、生きていくのが苦手そうな彼を、冷たく放り出すことは出来なかった。どうにかできるものなら、どうにかしてあげたいと……、これって母性本能っていうものでしょうか。そういえば、わたし、ちょっと弱いようなダメな男に弱いんです、昔から。あ、“ダメな男”っていう言い方はひどいかもしれませんね。  わたしは彼がミスをしないように仕事中も彼の動きに目を光らせていました。彼がおろおろしているような時には呼び出して、指導をしました。  ある日、仕事を終えて帰ろうと事務所を出たわたしを彼が追いかけてきました。 「あの、今日空いてますか? いつもよくしてもらってるんで……、どこか飲みにでも行きませんか? 俺、おごります」  高揚した様子でそう言う彼の顔は今までになく生き生きとしていて、わたしは思わずOKの返事をしたのでした。  最初に行った居酒屋さんで、彼は、 「おかげで大分、仕事を覚えました。何となく最近仕事が楽しいんです。向いてないと思ったけど、俺、こういう仕事、向いてるのかもしれないと思い始めてます」  彼がそう言ってくれたのが嬉しくて、わたしは飲めないお酒をちょっと飲みすぎてしまいました。その後、バーに行って、甘いカクテルを二杯飲みました。そこまでは覚えているのですが……。  気づいた時、わたしと彼はわたしの一人暮らしの部屋にいました。二人して狭いベッドで寝ていました。わたしはベッドから転がり下りて、衣服を身につけました。彼の裸の足が布団の端から飛び出していました。  わたしがへたりこんでいると、彼が目を覚まして、わたしを見ました。そして寝ぼけた顔でにっこり笑って、 「好きだよ」  と言いました。  それを聞いて、わたしは自分でも滑稽なほど、とてつもなくホッとしたのです。  過ちでこういうことをしてしまったのではない。わたしたちは好き合っていて、だからこれは自然な成り行きなのだ。  と自分を納得させることが出来たからです。いつまでも「優等生」でいたいわたしが、お酒の勢いでこういうことをしてしまうわたしを許さなかったのです。」
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