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「本気にするなよ。冗談だ」
「初対面の相手に言う冗談だとは思えないが」
「初対め――ってまあ、そうか」
そうだよな、とガイは一人納得するみたいに苦笑いする。
「悪かったよ。でもそこまで警戒心をむき出しにされると、さすがの俺でも傷つくぜ」
「もともとそうさせたのは君の方だろ」
「はは。違いねえな」
ガイが形のいい鼻をくしゃっとさせて目を細める。突然見せた屈託のない笑顔に、一瞬ドキリとする。
嫌味を言ったかと思えば助けてくれたり、入ってはいけないはずの店に侵入し、際どい冗談を飛ばす破天荒な一面を見せたかと思えば素直に謝ってきたり……。ガイのような人間と話すのは初めてだった。
なんとなく感情の弾みに気づかれるのは癪に感じた。胸に灯ったざわめきとためらいを払拭するかのように、フォルカはコホンと咳払いする。
「と、とにかく! 君がオメガでないのなら、この店でご馳走はできないな」
「ほう。他の店だったらいいのか?」
「ま、まあそれだったら――」
そのときだった。
ドクンッとフォルカの心臓が、大きく脈打った。自分の体が楽器のドラムになったみたいだ。状況を把握しようと頭を巡らせようとするが、無意味だった。体の内側から揺さぶる強い拍動が、思考を遮ってきた。
まずい。もうすぐだと危惧していたが、それにしてもいつもより早くないか?
手が震え出す。上半身から送られた血が、下半身へと集まっていく感覚。フォルカはこの感覚と、もう何年も付き合ってきた。だから分かった。
間違いない。これはヒートだ。
肩を抱いた。腹の奥が疼いてしょうがない。肌の表面がビリビリと粟立つ。
何も挿入していないはずの腹がぜん動し始めている。アルファの陰茎を受け入れやすいようにと、それと同じ形状に変わっているのだ。その工程が強い淫欲を生み、フォルカは耐えきれずにその場で膝を折った。
「おい、どうしたっ!」
ガイが駆け寄ってくる。肩に触れられると、敏感になった肌が感覚を拾う。「あっ」と口から喘ぎを吐けば、自分でも分かるほどの濃いフェロモンが全身から放たれた。
その瞬間、ガイがうっと顔をしかめた。
「おまえ、まさかヒートに……っ」
ハァ、ハァ、ハァ……と息継ぎで返事する。
これ以上、外でヒートの状態でいるのは危険だ。こちらのフェロモンに反応したアルファが寄ってきてしまうかもしれない。それに自分のフェロモンを感じとれたということは、ガイもおそらく――。
「み、店に……鞄……っ抑せ、い……やくを……っ」
抑制薬の瓶を入れた鞄は、店に置いてきてしまった。フォルカは息も絶え絶えになりながら、ガイに薬の場所を伝えた。ガイがこちらのフェロモンにあてられる前に、早く抑制薬を飲まなければ。
ガイはゴクッと唾を飲んでから、鼻を押さえて店の中へと駆け込んでいった。すぐに戻ってきたガイの手には、見慣れたレザー鞄。かすむ視界の端に、先月レターオープナーが落ちたことで剥げてしまった跡が見える。
なんだかんだ話のわかる男でよかった。ホッとしたのも束の間、ガイが近づいてきた瞬間フォルカは小さく叫んだ。
ヒートになるまで何にも感じなかった男の匂いが、鋭く鼻をついたからだ。不快になる匂いじゃない。嗅いでいると、むしろ腹に漂う疼きが強烈に強くなった。
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