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遠くに小鳥のさえずりが聞こえてくる。ピイピイと鳴く声が幾重にも重なっている。少なくても三羽はいるだろうか……と考えて、フォルカはゆっくりと目を開けた。
ここはどこだ?
目を開けてまず考えたのは、自分のいる場所についてだ。自分の部屋でないことは、目を開けた瞬間に分かった。
フォルカは目を細めながら、ゆっくりと上半身を起こした。
「うっ!」
体じゅうの筋肉という筋肉が痛む。特に腰まわりは最悪だ。酒樽の下敷きにでもなったかのようだ。
痛みに顔を歪ませつつ、フォルカはすえた匂いのする部屋を見渡した。
埃や砂が目立つ木造の床には、使い古した雑巾のようなカーペットが敷かれている。今まで自分が寝ていたのは、錆びれたパイプベッドの上らしい。マットレスが薄いのか、フォルカの脂肪の少ない尻には、まるで布を敷いた石の上に座っているみたいだった。
天井の四隅には蜘蛛の巣が張られている。王族じゃなくても、この部屋で寝るのはなかなか躊躇するんじゃないだろうか。自身の体を包むシミのついた薄っぺらのパジャマと黄ばんだリネンの枕を見て、フォルカは思わず口元がヒクついてしまった。
けれど半開きの天窓から聞こえてくる小鳥のさえずりと、射し込んでくるやけに眩しい朝陽は、どういうわけかちょっと気に入った。
「目が覚めたか」
男の声がする。フォルカは視線を天窓から下に戻した。だが姿は見えない。「もっと下だ」と声がして床にまで目を落とすと、少し癖のある黒髪が動いた。
どうやらここは屋根裏部屋らしい。ハシゴを伝って、男が登ってくる。身なりや言動の荒々しさに似合わず、意外と足音が小さい。
ガイはハシゴを登りきると、はめ込み式の床板で自分が駆け上がってきた四角い穴を塞いだ。
右手に包帯が巻かれているのが見える。逞しい体が膝を伸ばし、こちらを向いた。
「体調はどうだ?」
「え?」
「痛むだろ。ずいぶんと無理をさせたからな」
男の言葉で、昨晩の記憶がフラッシュバックする。
そうだ。自分はこの男と昨日――。
かぁっと恥ずかしさがこみ上げる。酒に酔っていたわけではないから覚えている。何もかも覚えている。いたたまれなかった。
「なんかすげえ顔してるぞ、おまえ」
フォルカは両手で頭を抱えながら、「どんな顔だ?」と訊いた。
「ターツヤギの煮汁でも食ったみたいな顔だ」
獣臭が強く、人を選ぶ食べ物として知られているルミナス王国西側の郷土料理だ。なるほど今の自分はそんな顔をしているのか。
フォルカは「……そうか」と腹の底からため息をついた。
十五歳で初めてのヒートを迎えてから、かれこれ八年。幸い症状が他人より軽い方だと自覚していた。疼きがつらいのは初日と二日目くらいだし、通常一週間続くとされているのに自分は三、四日で終わるからだ。薬屋の女店主にヒートの症状を詳しく説明したときも、「軽い方だから強い抑制薬じゃない方がいいわね」と言われた。
だがけっして油断していたわけではない。たとえ症状が軽かったとしても、公の場でヒートになり、アルファの欲を煽って望まぬ妊娠や番契約をしてしまう可能性はオメガなら誰にでもある。それを防ぐための首輪と抑制薬ではなかったのか?
にもかかわらず、昨日初めて会ったばかりのアルファ男と寝てしまうなんて。名前しか知らない、いや、名前だって本名かどうかも分からないごろつきの男と……。
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