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「他人の性癖にとやかく言いたかねえが、オメガ同士よろしくやるのって難しいらしいぜ」
急に背後から聞こえた重低音の声。フォルカより先に、酔っ払いが「今口を開いたやつはどいつだァ?」と振り返る。
フォルカも後ろに首をひねる。ついさっきまでフォルカがホットワインを飲んでいた場所に、その男は立っていた。
男は隠す様子もなく、「俺だ」と躊躇なくフォルカたちに近づいてきた。
ほどよく灼けた肌とがっしりとした骨格を包むのは、ヨレヨレになった淡黄色のリネンシャツと黒のタックパンツだ。伸びたサスペンダーは片方が肩からずれ落ち、下ろした長髪の黒髪も無造作だ。全体的に身なりは崩れているものの、堂々とした印象の男だった。
「なんでも互いのフェロモンに反応して気持ち悪くなっちまうんだと。まあ、それでもキャットファイトがしたいって言うんなら、止めねえけど」
男はそう言うと、額にかかった長い前髪のあいだから、黒豹みたいに鋭いブラックグレーの瞳を向けてきた。
男の威圧感にひるんだようだ。酔っ払いが「オ、オレはオメガじゃないっ」と焦ったように唾を飛ばした。
「おっと、そうなのか? そりゃそうか。オメガ以外の人間はこの店に入れないもんな」
酔っ払い男の赤ら顔が、ますます赤く染まっていく。
「オメガじゃねえなら、さっさと店から出ろよ。アンタみたいな奴がいると、酒が不味くなる」
不敵に笑った男に、酔っ払い男の羞恥が爆発したらしい。フォルカの肩から手を離した酔っ払いが、「わああああっ!」と叫びながら男めがけて酒の入った水筒を振った。
男は一瞬のうちに長い片脚を振り上げる。気づいたときには、べこっと表面のへこんだ水筒が床に落ちていた。
男は「チッ」と舌打ちすると、さっきよりもドスの利いた声で言った。
「穏便に済ませてやろうとしてんのに、俺に喧嘩売るとはいい度胸してるじゃねえか」
あれで一応穏便に済ませようとしていたらしい。男の発言に引っかかったものの、加勢してくれていることには違いないだろう。フォルカはヒートになりかけている女性の元へ走り、「大丈夫ですか?」と声をかけた。
「喧嘩なら買ってやる。でもどうせやり合うなら、目一杯動ける外に行こうぜ」
男はボキボキと手の骨を鳴らしたあと、瞬時に酔っ払いの頭を腕でロックし、店の外へと連れ出して行った。
突然のことで、店内にいる誰もがポカンとする中、フォルカは女性が自身の抑制薬を飲むのを見届けてから、店の外に出た。店先に酔っ払いの姿はなく、いたのは男一人だった。
「あの男は?」
フォルカが訊ねると、男はつまらなそうに「帰った」と答えた。
「せっかく喧嘩できると思ってたのによ。店出た途端に謝ってきた」
「喧嘩をしなくて済んだならよかったよ」
「ありゃあ同族嫌悪タイプのオメガだな。他のバース性の振りをしてオメガを見下せば、高い位置に立てたと勘違いしてやがる」
ただの喧嘩っ早いごろつきだと思っていただけに、冷静な見方をするのが意外だった。
「追いかけなくてよかったのか?」
「戦意失くした奴相手に喧嘩ふっかけても、つまんねえからな」
男は組んでいた腕を解き、タックパンツのポケットに手を入れる。
「ま、めでたい奴だ」
その言葉を耳にした瞬間、昼間の出来事が一気に蘇った。学園の図書館で、フォルカがまさしく言われた言葉。しかも同じ声、同じ話し方――フォルカは「ちょっと見せてくれ」と男の顔をまじまじと覗き込んだ。
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