贄(にえ)の桜

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 その夜。僕はもう一度、桜並木へ出かけた。  遠くから見ると、灯りが灯された極彩色の提灯は、毒々しいだけで違和感の塊だ。それで、もっと近付いて見てみようと、僕は提灯が並ぶ辺りへゆっくりと歩いていった。  そして、提灯の始まりへ足を踏み入れたときである。  ぱあっと、辺りが明るくなった。提灯が吊るされている十メートルの間だけ、桜が一気に花開き、満開となったのだ。ハラハラと花びらを散らせて、咲き誇っている。  僕は驚き、目をこすった。寝ぼけているのかと思った。けれど、どうにも夢ではない。手のひらをかざすと、ひらりと花びらが舞い降りた。 「なんだ、これ、どういうことだよ」  僕は思わず声を出して桜を見上げた。こんなに華々しい桜を今まで見たことがあっただろうか。あまりの美しさに魅入ってしまって、気付けば提灯が並ぶ中央辺りまで歩いていた。そして、ふと、辺りに目を向けたとき、思わず息をのんだ。  いつの間にか、辺りには多くの人がいた。男の人、女の人、年寄り、子ども。着物の人、モンペの人、チョンマゲの人までいる。様々な年代の、様々な時代の人たちが虚ろな顔で歩いているのだ。  本能的に僕は、ここはヤバいと思った。冷静に考えてみれば、まだ固い蕾の桜が、いきなり満開になるなんてありえない。  ここは、この世とは違う場所なのだ。僕がいてはいけない所なのだ。
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