幻の宝玉

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幻の宝玉

 縁側に座っていた青は、紫苑色の衿から引っ張り出すように巾着を取り出した。  手のひらに収まるほどの巾着は青が肌身離さず首から下げている大切なお守りだ。  艶やかな白い絹に包まれたこの巾着は、母親――幸子(さちこ)から受け継いだもので、幸子の親、そのまた親から代々継承されてきたものである。  今宵は満月。  晴れた満月の夜には、お守りを月光に照らして浄化することを忘れてはいけないと幸子から言いつけられている。手のひらに乗せていたお守りを首から外して木皿の上に置いた。そして、そっと指の腹で巾着の膨らんだところに柔く触れた。  巾着には、桜桃よりも一回り大きな石が入っている。  この石は、宝生の樹に成っていたとされる宝玉なのだそうだ。  沫ノ森に鎮座していると伝承が残る宝生の樹は、七色の光を放つ宝玉を実らせるのだと、伊予の一族で言い伝えられている。  幻の宝玉を想像して恍惚と微笑む母親の姿を思い出した青の心が昏く軋む。  青の母親である幸子は、伊予の一族の末裔だった。  中央で天皇に仕える公家から嫁いできていることもあり、保親は幸子の素姓を知らないらしい。  二百年前、朝廷軍との戦に負け、総崩れした伊予の一族だったが逃げ延びたものもいる。その生き残りの末裔が都で声をかけられ、宮中の雑仕女(ぞうしめ)に採用されて働いていたそうだ。    身分も何もない娘ではあったが、色白で端麗な顔立ちが見目麗しく、宮中を出入りする男たちの間で噂になっていた。  そして、その男たちの中のひとりだった公卿に見初められ、妾になったのだとか。   『その妾から受け継がれた伊予の一族の血が自分に流れている』  そうひっそりと、しかしどこか誇らしげに言う母親の表情を青は覚えている。  自らが伊予の一族の末裔であることを異様に信じ込んでいる幸子は天皇家への恨みつらみを青に何度も、何度も聞かせた。  伊予の一族は天皇家に嵌められたのだと。  天皇家が召し抱えている神子の能力を使い、御所がある都だけが栄えさせたことによって、倭ノ国全体の気の均衡が崩れて、乱れてしまったこと。  民の不平不満を伊予の一族に向けるために逆賊として仕立て上げたこと。  伊予の一族に存在した巫覡の能力を欲した天皇の申し出を断り、その場で族長が殺されてしまったこと。    真実なのかは誰にもわからない。  事実、二百年前の伊予の一族の反乱を最後に戦は起きていないのだ。    民は貧しくとも、平安な世が訪れていると言っていいのではないだろうか。  もし、幸子が言うことが本当ならば、天皇家が神子の能力に頼って私利私欲に走っていれば飢饉や戦が絶えないはずなのだから。    そう思うも、青は幸子に何も言えなかった。  黙り込む青に、幸子は決まってこう言う。 『一族の無念を晴らすことができると思ったのに』  予波ノ島国守である美弥藤家に嫁ぐことが決まった幸子は、予波ノ島を取り戻せるかもしれない、と当時の高ぶる気持ちを嬉々として話しては、女として生まれてきた青を責めた。  男でなければ、美弥藤家の当主にはなれない。  倭ノ国を治める天皇家だけではなく、公家、武家においても女が家督を継いだという話は聞いたことがない。  幸子は、自分の子が美弥藤家の当主となり、天皇家を滅ぼす火種になる夢を見ていた。悔し涙を流していた幸子の姿を青は忘れられない。  男児を授かりたいと願う幸子は父親に尽くしてはいたが、子宝に恵まれることはなく、今に至る。  それに美弥藤家には正当な跡継ぎがいるのだ。  しかし、青の義兄である正室の嫡男は生来、身体が弱かった。義兄が病気にかかり、床に臥せっていることを聞くたびに幸子は表面上、悲しみを見せ、正室と義兄を労わってはいたが内心笑っているのだろうなと青は察していた。  歪な母親の姿に青は恐ろしく感じ、何かを諦めた。  この人には逆らえない、と。    だから、直政と中央に逃げようと企てた。このまま、幸子の元で暮らしていると自分を見失いそうで、大切な何かを失いそうで青は怖かったのだ。直政もまた父である直成に嫌気が差していた。  東を置いていくことはできない、と騒動に紛れて三人で中央に行く算段だった。  それなのに。  青は切なげに目を細めて嘆息をついた。  一族のお守りを持っている限り、自分は囚われたままのではないかと思う。  代々受け継がれているお守りには、絶対に開けてはならないという掟があった。  宝生の樹の守護の力がなくなる、宝玉が放つ七色の光が失われてしまうなどの理由があるらしい。  幼い頃、青は好奇心から開けてしまった。  七色に光る宝玉はどれほど美しいものなのだろう、と。  ほんの出来心だった。  しかし、中に入っていたのは黒ずんだ麻織物で包まれていたただの石ころ。  当時の幼き青は落胆したが、同時に怖くなった。    自分が母親の言いつけを守らず掟を破ってしまったから、ただの石ころになってしまったのかもしれないと。    
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