最後の晩餐はカレーうどん

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 病気がわかってしばらくして、あの人は自由に出歩けるうちに行けるところへ行きたいと言いだして、日本中を二人で旅行した時期があった。あの人の好きな城跡をめぐり、私が好きな焼き物の窯を訪ね、その土地にしかない食べ物を食べて気に入ったものをお土産に買って帰った。  何をするのにも時間がかかるし、すぐに疲れて動けなくなるので、行動範囲はぐんと狭まった。手足が震えるのを電車やバスの中でじろじろ見られることもあったが、あの人はそんなことを気にするそぶりも見せなかった。  何もないところでつまづいて見知らぬ若いカップルに手を貸してもらったこともあれば、お城の跡をタクシーの中から眺めるだけであきらめることもあった。少しずつ、食事でむせたり、のどに詰めそうになることが増えてくると、前もって宿に連絡して食事の内容を変えてもらうようになった。そのために、名物が食べられなくても仕方がなかった。  それでも私たちはそんな旅を楽しんでいた。この年になって二人で出歩けるだけでありがたい、とあの人はいつもそういって笑った。  「これだけいい調子で過ごせているのは、病気との付き合い方が上手な証拠です」  そのころ、まだ市民病院に勤めていた棚原先生は、診察のたびにそう言ってくれた。そのたびに、できないことが増えたことに落ち込んでいた気持ちをまた持ち直して日々を過ごすことを繰り返していた。
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