蠱惑Ⅱ『矯風』

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「私ですよ、総務課の向井ですよ。横山係長ですよね」  証券会社時代の私の部下でした。仕事帰りにはよく飲みにも誘いました。 「向井君」  私はなぜか涙が溢れました。悲しいとか恥ずかしいとかではなく、安心出来る物を見つけたように嬉しくなったのです。 「ちょっと代わって」  向井は弁当配布を他の人と代わり私をテントの中に誘いました。 「どうしたんですか?新居を手放したのは聞きましたがそれから横山係長の所在は不明でした。会社が潰れて一年後に私達総務課で集まりました。それぞれが助け合って行こうと固い契りをしたんです。その会はあすなろ会で会長には横山係長でお願いしようとみんなで決めていたんです。あれからどこにいらしたんですか?」  向井は寒さで震える私の肩に防寒着を掛けてくれた。 「向井君ありがとう。いや向井さんありがとうございます。私はあれから色々な仕事に就きました。ですが事務屋なんて潰しが利かないもんですね。その上不器用だから馴染めなくてね、転々として今は恥ずかしながら路上生活者となりました。それがこの世界でも上下関係があってね、自分の居場所が見つけるのに一苦労だった。屋根付きのいい場所には必ずと言っていいほど先客がいるんだよ。駆け出しは雨風の吹き込む場所で我慢するしかない。私達がいた会社と何も変わらない。どこに行こうが矯風付きまとうこの国の文化なんだ」  向井が差し出した温かいスープを啜りました。 「向井さん、どうですかもう一度社会復帰したら、ほら鈴木君がいたでしょ、彼は今精神病院で介護の仕事をしています。人出が足りないと聞きましたから紹介します」  あたしにとってこんな嬉しい話はありませんでした。介護の仕事は素人でも、病院で掃除夫をしてもいい。それに事務仕事はお手のもの、役に立てると思いました。そして向井から服を貰い、髪をセットして八王子からずっと山に入った病院に行きました。大きな病院でした。病院関係者の駐車場には物凄い外車が停まっていました。スーパーカーではないでしょうか。誰が乗っているのか知りませんが医者の報酬は桁外れだと感じました。
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