卒業後編Ⅱ

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<楓翔side> そんな風に適当に時間を過ごしていた中学生の頃が、環境的には一番ひどかったと思う。 親の喧嘩も絶えなくて、小学生の頃には毎日置いてあった千円が万札数枚に変わって。 それが置かれるのは、良ければ一週間に一度、悪ければ二、三週間一度の頻度。 母親の夜遊びはどんどんタガが外れていって、父親もそんな母親に愛想が尽きたのか家に帰ってこなくなって。 この頃から、俺が住んでいる家はほとんど俺のものみたいになっていった。 家には誰もいない。 俺一人しかいないから俺が全部何とかしないといけないんだけど、俺だってご飯を作る気にはならなかったし、掃除洗濯なんてもってのほかだった。 だからだんだん家がゴミ屋敷みたいになって時期があって。 さすがにマズいって思って掃除したけど。 ちょっと前まではお手伝いさんみたいな人が家の中を出入りしてたけど、親父が母親のメリットにもなってるって思って止めたっぽい。 だから、俺自身が動かなきゃ自分で自分の首を絞める、みたいな状況になっちゃって。 広い家の掃除をするのは時間がかかったし大変だった。 あまりに大変だったものだから、この時にせめて週一で掃除と洗濯はしようって決めたんだよな。 今でもたまにサボってるけど。 当然、家事が嫌いな俺のご飯はずっとコンビニで買ってきたものばっかりだった。 そうやって何とか生活していた時に、俺の環境ががらりと変わることが起きた。 両親が離婚したんだ。 その時の俺はようやく静かになると思って、安堵しか感じていなかった。 もうあの罵声に耐えなくていいんだって。 もうあの苦痛を感じなくていいんだって。 両親の存在がずっと邪魔でしかなかった俺にとって、両親の離婚は嬉しいものでしかなかったんだ。 喧嘩を交えながらも両親は家とか車をどうするか話し合って、結局ほとんどが母親の手元に残ることになった。 俺のことも多少は考えてくれていたみたいで、俺が住むところが無くなったら困るからと、名義は父親のままだけどこの家は母親のものになった。 そして俺はここに住み続けていいと言われた。 ぶっちゃけ追い出されなくて良かったって思ったよ。 住む場所まで無くなったら、野垂れ死ぬしか選択肢ないもんな。 たしか車は父親のものってことになって、他にもいろいろ話してたみたいだけど、俺は関わってないし興味もないから知らない。 穏便にとは言えない口論が数日間にわたって行われてから、両親はようやく離婚届を提出した。 聞いた話によると、役所でも喧嘩してたらしい。 ほんと、そんなクズの息子だって言われるこっちの見にもなれって話だよな。 あの人たちに“配慮“なんて概念は存在していないわけだけど。 そしてその後、父親は直ぐに家を出ていった。 きっとまたどっかで無駄にでっかい家買ってるんだろうな。
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