3.遅刻

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3.遅刻

 南川がB駅に着いたのは夕方五時を五分ほど過ぎたときだった。遅刻する気はなかったのだが、電車賃を節約するために自転車で向かうことを考え外に出ると、小雨が降っていたので迷いはしたが、少々濡れても働けなくなる訳ではないだろうと乗ったはいいが途中で転んでスポークが曲がってしまったことで遅くなってしまった。  仕事の説明はB駅で行うというハッピーブローカーの言葉を思い出しながら、誰かが声でもかけてくるのだろうと南川は駅周辺をうろつく。強面の中年、金髪のギャル、黒スーツにサングラス姿の長身など、もしかしたらと思う人間が複数通ったが、誰も近づいてはこなかった。  もしかしたら遅刻している間に説明担当の人間が帰ってしまったのだろうかと南川は考え始めるが、石川の紹介であることもあって無断で立ち去る訳にいかず、ならば SNSでハッピーブローカーに問い合わせてみようかとも思ったが、遅刻していた気まずさがあってできなかった。  ただ待つだけの時間が過ぎ、石川の顔が浮かぶ。その穏やかな作り笑いには、期待を裏切ったことへの落胆が見え隠れする。いっそ責めてもらえれば謝ることもできるのだろうが、本音はもう聞けないのだろうと南川は思った。  どうすることもできず、駅員と何度か目が合ったところで、いよいよ帰宅するしかないかと考え、歩き出す。列車が通り過ぎる音がうるさくて、逃げ出すように歩みを早めた。そのとき太腿に引っ掛かりを感じてズボンの前ポケットに見覚えのない白い紙が差し込まれているのに気が付く。自身がそうした覚えはまったくなく、駅を行き交った誰かがポケットに入れたのかもしれないと直感的に理解した。周囲を見渡しながら紙を開く。 『B駅から南西に五分歩いたところにあるC橋に行き、橋から見える家についてできるだけ多くの家の屋内を観察すること。そしてそこに住んでいる人間について記録しSNSでDMすること。ただし家屋に近づいての観察は不審に思われる恐れがあるため控え、あくまで橋の上から調査できる範囲とすること」。  紙には印刷された文字でそうあった。
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