7.信頼と大きな仕事

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7.信頼と大きな仕事

 C橋近くの老婆の住む家。その内部がどうなっているか細部に渡って調べること。南川は老婆宅の前を二度、三度通り過ぎ、どうにか家の中に入らずに調べられはしないだろうかと悩んでいた。  老婆宅は日中はカーテンがかかっていないことが多く内部が見える。しかしそれで見えるのは一部分でしかない。ハッピーブローカから求められているのは家の中を実際に歩き回りでもしなければ分からないことだった。  扉が開き老婆が杖をついて出て行く。買い物に出かけるのだと南川は知っている。いつもだいたい同じ時刻に彼女はそうするのだ。南川は老婆が見えなくなったところで静かに家屋に近づき、塀伝いにぐるりと歩く。いずれの窓も暗く、物音もしなかった。  以前バンから監視した際に見かけた、孫であろう若い男やその他家族は出かけているのだろうか。学校やら仕事やらで老婆だけが日中家にいて、夕方食材を買いに行くというのは有り得るだろうと南川は考え、もし誰も家にいないのであれば、ほんの短い時間だけ中に入ったとして問題になるだろうかとも考え始める。  何かを壊したり盗んだりする訳ではない。ただ家の中の構造を調べるだけなのだ。しかも仕事の依頼主に関係する家だとすれば、褒められはしても責められることは決してない筈だ。ぼんやりとそう考えながら南川は玄関の前に立った。駅のほうから通りを歩いてくる数人の気配がしていて、その姿を見られるのが良くないと考えた南川は咄嗟に玄関扉に手をかけていた。  鍵がかかっていなかった。  南川は老婆宅の中に入って、息を殺した。目の前に灯りのついていない廊下がまっすぐ伸び、仏壇でもあるのだろう線香の匂いが漂っている。暫く耳をすましていたが家の中からの物音はまったく聞こえない。  スマホで録画しながら奥へと進む。靴をどうしたものかと迷ったが、脱いで脇に挟んでいた。  老婆宅は外から見ていたのと同様に広かった。古い木造家屋であるためいたるところが軋みはするが、立派な柱や梁があって掃除が行き届いている。一階に台所や風呂があり部屋が四つ、二階には部屋が五つ。部屋の多くは物置のようになっていた。  一階の仏間で南川は老婆の夫であろう男性の遺影を確認した後、それまで撮影した動画をハッピーブローカーに送信した。長居すると老婆が帰ってきてしまうと考え、玄関へと戻ろうとするとハッピーブローカーから返信があった。 『押入の中や床、窓、天井も映してください。依頼主の記憶と一致するか確認してもらいます』  短くそれだけのメッセージであった。南川は玄関を気にしながら、もう一度部屋を周り録画をした。最後に確認した仏間の押入には、大きな金庫があった。  南川は追加の動画をハッピーブローカーに送りながら、ふと、その家に老婆以外の生活感がなかったことに気が付く。ベッドのあったのは一部屋のみ。台所にあった食器類も見える位置にあったのは一人分だったし、物置になっている部屋以外は、がらんとした部屋ばかりだった。 『南川君、素晴らしい仕事です。報酬は明日にでも届けるようにしよう』。南川が玄関を開けようとしたときにスマホにSNSの通知があった。そして扉の向こうから足音が近づいてくる音もしていた。  老婆が帰ってきてしまった。南川は慌てて廊下を奥へと進み、物置となっていた部屋に入った。玄関が開き、スーパーの袋であろうビニールの擦れる音が聞こえていた。  南川は老婆が台所にいる隙に玄関から出て行こうと考えたが、老婆が玄関の鍵を締め足を引き摺りながら台所へと歩いていく音が家中に響いていると感じ不安になった。  それでも留まる訳にはいかない。万が一その部屋に老婆が物を取りに来たら見つかってしまう。悪いことをしているつもりはなくても、ハッピーブローカーや依頼主がそこにいない状況では、誤解されるに違いない。  台所でテレビがついたタイミングで南川は部屋を出て、玄関へと走った。静かに歩いても廊下は軋み、音が届いてしまうだろうと考え、そうであるなら動きの鈍い老婆が音に気が付き確かめに来るより前に玄関から出てしまおうとしたのだった。  しかし慌てた南川は足を絡ませ転びそうになる。廊下から「どなた?」と声が聞こえた。台所の横開きの扉が開く瞬間、南川はどうにか玄関から飛び出した。
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