終章

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終章

「⋯遠野。何で⋯」 「久しぶり、桐生!空閑に呼ばれて来たぜ」  扉を開けて入って来たのは、桐生の高校の友人、遠野だった。会うのはもう何ヶ月ぶりだろうか。  どうして遠野がここに居るのだろう。桐生が空閑に問うよりも先に、空閑が言った。 「私、遠野と小学校が一緒だったんだ。こないだ道で偶然会って喋ってたら、桐生と同じ高校だって言うからさ。桐生の話をしてたら、遠野が桐生の絵を見たいらしくて、ここに誘ったんだ。ほら見て、遠野。これ、桐生の絵だよ」 「うっわ、すっげえ!え、上手すぎねえ?すげーな桐生!」  遠野が興奮しきった様子で叫ぶ。桐生は心が温かくなるのを感じた。これも九ヶ月ぶりだ。自分の描いた絵を、誰かに褒めてもらうのは。あの頃は褒められる度に嬉しくて、もっと頑張ろうと思えたんだっけ。 「桐生、やっぱあんためちゃくちゃ絵上手いよ」  空閑が目を細める。その口調は静かで、落ち着いている。 「受験に落ちたくらいで、自信を失わないで。絵を描くことをやめないで。ちょっと緊張して失敗したからって、大学受験で同じことを繰り返さなかったらいい。高校なんてどこでもいいんだよ。どこで頑張るかじゃない、何をどのように頑張るかが大切なんだから」  空閑が続ける。 「ねえ桐生、私ね、この絵画教室に通ってるんだ。目標は種田美術大学に合格すること」  種田美術大学。国内でも有数の、難関美大だ。 「桐生。私と一緒に、もう一度志望校合格目指して頑張らない?⋯いや、頑張ろう。一緒に頑張ろう。絶対美大に受かるんだ。それで、絵を描き続けよう。努力をし続けよう」  空閑が桐生の目をじっと見つめる。彼女の双眸はどこまでも真っ直ぐで、桐生を射抜いた。桐生は自らの拳を握り締める。拳が震えているのが分かった。  また目指すというのか?美術の学校を。落ちたらどうする。散々努力して、時間や労力を費やして、またあの時みたいに落ちてしまったら。本番でパニックになり、実力を出し切れなかったら。抱いていた希望が、絶望に変わってしまったら。 「⋯ごめん。絶対美大に受かるだなんて、嘘」  空閑が呟く。  そして桐生の手を取ると、自身の手をそっと重ねた。 「また、私と戦おう。合否なんてどうでもいい。一緒に絵を描こうよ」  心地よい春風が吹いた気がした。  言うまでもなく今は冬だし、ここは屋内だ。窓は全て閉ざされ、外は雪が降っている。  桐生は自分の右手を見た。オレンジの油絵の具がこびり付いている。  正直、この先絵を描き続けられる自信はない。しかし、爆発の絵を描いていて思った。  自分は絵が大好きだ、と。 「⋯うん。一緒に描こう。空閑」  桐生は答えた。  良い学校に行けなくたっていい。ただ、自分の好きなことを、真剣に頑張れたら。  遠野が「ファイト~」と笑顔で手を叩く。空閑は一瞬目を見開いた後、満面の笑みを浮かべる。柔らかな弧を描いた口元が、そっと動いた。 「また会えたね、桐生」
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