第2章

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第2章

「桐生じゃん。おひさ!」  長い夏が終わり、秋が始まる頃。家の近所のコンビニで、桐生は懐かしい声を聞いた。  振り向くとそこには、共に芽蕗高校の美術科を目指して切磋琢磨した少女、空閑(くが)が立っていた。涼し気な目元をしていて、色素の薄い地毛を肩の上で切りそろえている。同じ中学校で、同じ塾に通い、学力も画力も良い勝負であったから、ライバルのような関係性だった。仲は非常に良く、受験の直前に、二人とも合格したら勿論、どちらかまたは二人とも不合格になってしまった場合でも、また二人で会おうと約束したくらいだった。  高校に入ってからずっと堕落した生活を送っていた桐生は、空閑の顔を見て、志望校合格に向けて弛まぬ努力を続けていた受験期の頃を思い出した。ほんの一瞬だけ胸が熱くなり、視界が鮮やかに映る。  あの頃は良かった。やがて絶望を味わうことになるとは思いもせず、希望を抱き、頑張っていられたから。  最近は高校にまともに行ってすらいない。行きたくもない高校に行き続ける日々、いい加減嫌気が差した。遠野は不良生徒ながら性格は明るく思いやりがあり、話すうちにどんどん仲良くなっていったのだが、ここしばらく会っていない。  今の自分がどんなであるかを知ったら、空閑はどんな顔をするだろう。かつてライバルであった空閑だ、出来れば知られたくはない。そう思って、もしかすると空閑も自分と同じようなものかもしれない、と考えを抱く。  空閑も落ちたのだ。芽蕗高校の美術科に。  模試ではA判定を連発しておきながら、桐生と同じように。 「空閑。久しぶり」 「受験の時以来だねぇ。桐生、どこの高校だっけ?」 「私立。家の近所の」 「ああ、あそこね」 「空閑は?」 「私は女子校。結構楽しいよ」  空閑の言葉に、桐生は衝撃を受けた。行きたくもなかったであろう第二志望の高校を、楽しいと思えるだなんて。空閑は試験本番の緊張には弱かったが、なかなかプラス思考だ。 「そうそう、桐生。ちょっと絵見てほしいんだよね、私の絵。私、美術部に入ってさ。こないだ賞取ったんだ」 「マジで?賞?」 「うん。桐生も取ってるでしょ?部活はやっぱ美術部?」  そう訊かれて、桐生は押し黙った。芽蕗高校に落ちてから、桐生は絵を描くことをやめてしまったのだ。小さい頃から大好きだった絵だけれど、志望校に落ちて描く気が失せてしまった。一種のトラウマのようなものになってすらいる。 「⋯俺は、賞なんて取ってないよ。まず、絵描いてない。⋯やめたんだ。受験に落ちてから」 「⋯あの、さっきから思ってたんだけど。すごいね、髪色。ってか、かなり傷んでない?」  空閑が桐生の髪を見やり、訝しげに眉を顰める。自分で染め続けたオレンジの髪は、すっかり傷んでしまっていた。 「⋯また会おうって、約束したじゃん。受験の前に」 「うん」 「今日やっと、また会えたと思ったんだけど。違ったみたい」  空閑は遠慮なく言い放った。その言葉が己の心を抉るのを、桐生はどこか他人事のように感じていた。感情は廃れ、喜びも悲しみも、あまり実感しなくなっている。 「⋯そりゃ、当たり前だろ。落ちたんだから。芽蕗高校」 「桐生」 「お前はすげえよ。よく絵描けるわ。あんだけ頑張って、容赦なく落とされて、俺もう描ける気がしない」 「桐生!」 「じゃあな。⋯もう、会うことはないかもな」  目の前の空閑から顔を背けるように、桐生は踵を返した。買いたかった商品を手放し、コンビニを出る。外は寒い。秋風が桐生に襲い来る。 「桐生!大事なのは、どこで頑張るかじゃないよ。何を、どのように頑張るかだよ!」  後ろから空閑が、必死に声を張り上げる。なんて正しくて、強い言葉だろうか。空閑は前を向いている。自分とは違う。  桐生は振り向かずに、曇天の下を歩き続けた。
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