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第3章
冬休みに入り、一年の終わりが近付く頃。外はしんしんと雪が降り積もり、日中に人々が作った足跡が消えてゆく、そんな夜。桐生のスマートフォンに、メッセージの通知が届いた。空閑からだった。
『もう二ヶ月くらい前のことだけど。あの時はごめんね』
『明日さ、良かったら会わない?コンビニの前で待ってるから』
桐生は思案した。会うといっても用件が分からない。それに、もう会うことはないと、二ヶ月前に捨て台詞を残したばかりだ。
『なんで?用件は?』
『それは来たら分かるから。とにかく会おうね』
すぐに既読がつき、返信が送られてきた。桐生は溜め息をつき、新品同様のカレンダーを見やる。学校にはすっかり行かなくなり、友達もいない無気力な高校生に、予定などあるはずがない。
どうせ家に居ても何もしないのだ。ここは誘いに乗ってやるか。桐生はそう決めると、『了解』とメッセージを返した。
ふと視界に、部屋の端に積んだスケッチブックの山が映る。受験以来開いてすらなく、すっかり埃が積もっていた。
思い立って、桐生は座っていた椅子から立ち上がった。自身の中でトラウマのようになっていた絵。このまま部屋に置いておいても意味がない、触れないようにしていたが、勇気を出して捨ててやろう。年末だし丁度いい。
ゴミ袋を持ってくると、スケッチブックを詰め込んでいく。全部で十冊くらいある。⋯本当に頑張っていた、あの頃は。
他にもまだまだ絵が残っているはずだ。キャンバスとイーゼル、あれも捨てなくては。あれは何ごみに出せばいいのだろう。そんなことを考えていると、スケッチブックのページの間から、小さな封筒がひらりと落ちた。
これは一体何だろう。桐生は封筒を開けると、そっと中身を取り出した。小さな紙きれが六枚ほど入っている。桐生はその内容に目を通した。
『高校、絶対一緒に受かろうね!』
『桐生君にずっと憧れていました。受験頑張ろうね』
『合格して高校生活満喫しような!俺らならできる!』
『桐生君は今までよく頑張っていました。努力の成果を存分に発揮してきてください』
『絶対合格しましょう!これからも夢を追い続けてくださいね』
受験の直前に貰った、同じ高校を志す友人や、世話になった塾講師からの手紙だった。
このスケッチブックは一番新しいもので、努力の証だからと、受験会場にお守りとして持って行ったのだった。この手紙が入った封筒も、お守りとしてスケッチブックに挟んでいた。
一文字一文字噛み締めて読んでいるうちに、心がじんわりと熱くなる。当時のことが思い出される。
共に友人と切磋琢磨した思い出。好成績を残し、先生に褒められて感じた幸せ。抱いた希望。膨らむ将来への期待。
試験中の焦燥。どんどん大きくなる恐怖。何もかもから逃げ出したくなった。変な汗が止まらず、問題の内容が全く頭に入って来ない。文章が記号の羅列に見えた。五教科の問題はまともに解けず、絵も仕上げられなかった。
全て、全てが、いとも簡単に崩れ去った。
桐生は最後の一枚を手に取った。空閑からの手紙だった。
『これからもたくさん絵を描いて、努力を続けようね!また会おう!』
涙が出た。
空閑は高校に落ちた。しかし彼女は前を向いている。“どこで”頑張るかではない、“何を、どのように”頑張るかを考えて、弛まぬ努力を続けている。それに比べて自分の堕落ぶりは何だ。絵は描かず、高校にも行かず、家に閉じこもって陰鬱な生活を送るばかり。自分の弱さに反吐が出る。
約束したのだ。空閑と。“また会う”のだと。ただ顔を合わせるわけではない。受験期のような、努力を続けて前を向いた姿で、また会うと誓い合った。それなのに自分は、約束から目を背け、現実から逃避することばかりしていた。
桐生は羽織っていた上着の胸ポケットに、封筒をお守りのように入れた。そして再びスマートフォンを手に取ると、急いで空閑にメッセージを送る。
『今会えない?用件があるなら今済ませてよ』
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