Main Dish

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Main Dish

 迎えた当日の深夜。日付が変わった頃、酔いで頬を少し赤くした成戸くんが、熱気とアルコールの臭いで充満した部屋を横切り、重いドアを開ける。 「じゃ、俺帰ります」 「え、成戸帰んの〜? 寂しい〜」 「予定あるって言ったじゃないすか」  爆音と大音量の歌声にまぎれた軽いやり取りの中、私もショルダーバッグを手にして、彼の後に便乗する。こういう盛り上がってる空間を抜け出すのが、私にはタイミングがわからなくて難しい。目立たない存在だと言っても、変に水をさすのが怖いのだ。 「終電に乗りたいので……私も」 「あ、片切(かたぎり)さんも? そっか〜 じゃ、おつかれ〜」  先輩たちにあっさり見送られながら、私達は熱くでき上がった部屋を抜け出した。これから下宿先の最寄り駅までの時間が、私に与えられた最後のチャンスだ。  大学近くから最寄り駅までの道。急に頭が冷えた途端、緊張で夕飯をあまり食べられなかったお腹が、キュルキュル、とお約束のように鳴った。絶対聞こえたよね? 恥ずかし過ぎる……  黙ったままの成戸くんが、こっちを見ないままゴソゴソ、とカーゴパンツのポケットを探る。一息つく間もなく、ずい、と私に握り拳を差し出して、目線を向けた同時に手を開いた。最近、新発売したガムだ。既に開封されてる。 「食う? 腹にはたまらないけど」 「え……いいの?」 「あんま、好みじゃなかった」  嘘。これは、いかにも彼が好きそうな、刺激の強いミント味が売りのやつ。自分の好きな物のこと、私がよく知ってるなんて、思ってもいないんだろうな。 「……ありがと」  袋から遠慮がちに一枚引き出して、ゆっくり口に入れた。ビールの苦さもだけど、こういう刺激的なのは、昔から苦手だ。皆、よくおいしそうに食べられるなって、不思議に思う。  けど、噛みしめながら味わった。鼻の奥がツン、として視界が揺れる。左胸の奥だって、さっきからずっとバクバク暴れてて、痛い……  ――ダメだ。決意がにぶる前に、切り出そう。でも、なんて言えばいい? 一応、色々考えてきたのに。  口の中に広がる、やたら辛いミントの強い刺激と、酔いのせいだけじゃない熱い顔が、全部消してしまった。 「……あの、言ってた話だけど」 「ああ、うん。何?」  おいしくない、だけど、特別(スペシャル)な味。神様が私にくれた、ラストチャンス――  包み紙で、噛み残したガムを口から取り出す。 「――『最後の晩餐(ばんさん)』って、知ってる?」 「……は? まあ、うん」 「知ってるんだ」  よかった。『コイツ何言ってんだ』って思われて流される、ダメ元で聞いたから。 「レオナルド・ダ・ヴィンチの名画でしょ」 「そうだけど」 「一応、美術史とってるし。片切さんもじゃん」  知ってる。建築デザイナー目指してることも。 「学科内でも知らない人、結構いたから」 「処刑前夜のキリストが、十一人の弟子と晩餐会してる絵だろ。てか、急にどしたの」  軽く一息ついて、今日の戦いの火ぶたを、落とした。 「――こういうのも……そうなのかなって」  既に、意味不明と書いてある大好きな顔に向かって、祈るような、挑むような気持ちで口を開く。試すような気持ちもあった。  今から話すことに、この人はどんな反応をしてくれるだろう……なんて、虚しい期待とセットで。 「今日で、サークル来るの……最後だから」  ポーカーフェイスだった彼の顔が、石膏像みたいに固まった。一応、驚いてはくれたらしい事に、内心ホッとする。「ふーん」なんて返されたら、ここで惨敗して……終わってた。とりあえず、第一関門はクリアしたらしい。 「……なんで?」 「皆には、秘密にしてくれる?」 「いいけど…… それ、聞いていいやつ?」  戸惑ってるのが、明らかにわかる。そりゃそうだ。今まで何気ない趣味の話しかしてなかった相手が、突然カミングアウト匂わしてるんだから。  それでも聞いてほしかった。これだけは……どうしても。彼にとってはどうでもいい事、私の自己満足な慰めでしかない、愚かな行為だったとしても。 「――大学、辞めないといけなくなったんだ」  一瞬の間の後、パチパチ、と彼の(まぶた)が微かに瞬く。口元がちょっと引きつってるのが、暗がりでもわかった。 「親が身体悪くして、仕送りとか厳しくなって。元々、共働きで無理して通わせてもらってたんだ。私もバイト掛け持ちして、まだ決めてないけど、一回地元帰って…… もっと学費かからないとこ、受け直す」 「……いつ?」 「夏休み入るタイミング。まだ二年目だったのが……救いかな」  ようやく事情を飲み込んだらしい彼に、なるべく明るく、軽い口ぶりを意識して、一気に吐き出す。……上手くできてるかな。 「だから、今日みたいに皆で会うのも……最後」  うっかり、トーンを落としてしまった。沈黙が続いて、気まずい空気が生まれる。彼が答え方に困ってるのは、明らかだ。どうしよう。やっぱり言うんじゃなかった。 「――もう、撮らない?」  短くて長い沈黙に続いた言葉に、今度は、私が返答に詰まった。多分、さっきまでの彼と同じような顔をしているだろう。  予想外過ぎた言葉。『残念だな。頑張れ』って、励ましの言葉もらえたら、それだけで十分な位の勢いだったから。そんな私に畳み掛けるように、成戸くんは続ける。 「写真集、出すの夢なんだろ」 「……何で、知って」 「誕生祝いの時、部長に言ってたの聞こえた」  確かに、何気なく入部動機を聞かれた時に言った。そんなこと……覚えててくれてたんだ。 「無理だよ。もう……そんな余裕ないし」  声が震えてしまいそう。写真はお金がかかる。撮りに行く旅費、機材のメンテ、真剣にやろうと思えば、思うほど。 「もったいないし。続けていくなら方法は何でもいいじゃん。SNSとかで、地道に」 「何で、そんな……」  相手が誰だか忘れて、思わず声が荒立ってた。そんな、簡単に……言わないで…… 「才能、あると思うから」  また、嘘。前に見せてくれた彼の作品データ。私よりクオリティーもバリエーションも抜群に高い。去年、サークル全員で参加したコンテストで賞をとったのは、一回生だった彼とベテラン先輩の二人だけ。私よりもずっと……彼の方が才能も、実力もある。皆にも尊敬されてる。  ――そう。私自身も彼のファンで、憧れてて、推してたんだ。ちょっと悔しいくらい。あんなふうに撮れるように……なりたかった。  なのに、本人はいたって謙虚。『運が良かっただけ』なんて言って、鼻にかける素振りがない。いつも一眼レフを持ち歩いて、専門書を読みふけっている。  彼も口数は少ないけど、私と違って人気者だ。いつも誰かと一緒で、囲まれてる。もっと遊んだりしても良さそうなのに。  だけど、そういうところが…… 何より、好きだった。一番なりたかったのは、彼の……『彼女』なんだって、今更ながら苦い想いを自覚する。 「……いいの。最近、わかってきたんだ。私のレベルじゃプロにはなれないって」 「あきらめんのは、まだ早いんじゃない」  きっぱりと言い切る口調に、返す言葉を失った。黙ったまま、うつむいて首を振る。嬉しいはずの言葉なのに、予想以上の激励なのに、なんでこんなに悲しいんだろう。  そんな私に、彼も何も言わなくなった。真夜中の暗がりの中じゃ、わずかな表情や仕草までは、さすがにわかりにくい……
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