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六目は、水路をはさんで片側には田んぼ、反対側にこんもりと盛り上がった丘が連なるのどかな場所だった。水路岸には桜並木が30メートルほど続いている。
筧は水路沿いの道路に四駆を止めた。車から降りると水路を覗きこんだ。
たしかに干上がった状態だった。桜の花びらが水路の底を絨毯のように埋め尽くしている。本来なら水面を桜の筏が流れていく風景を眺められるはずなのだが。
「五目はどうなってるのでしょうか」佐藤玲奈が西の方角へ顔を向けながら筧に声をかけた。「五目が断水していなければ、こちらにも水は流れてきますよね」
水路は全てつながっている。どこかで堰き止めない限り、水はまんべんなく供給される仕組みなのだ。
「そうだな、調べてみよう。玲奈は監視所に連絡して異常がないか確認してくれ。ついでに、他の地区がどうなってるか教えてもらってくれるかい? 俺は水路へ下りて調べてみる。五目と六目の間には地下水路地下水路があるだろ。地下水路のどこかで破断して漏水してるかもしれない」
「わかりました。でも、地下水路、危険じゃないですか?」
「危険でも、誰かがやらなきゃな」
「地下水路は禁忌桜の真下を通るんですよ」
その意味がわかってますか。彼女がそう付け足したいのは、筧もよくわかっていた。禁忌桜は古の老木で、人災の象徴とされ、古刹の古文書にも――胡乱なる木あり申しべく候――の記述がある。
筧は軍手をはめ直し、黄色い安全ヘルメットのヘッドランプのスイッチを入れた。水路へ降りる梯子に足をかけた。深くはない水路だが、油断なくあたりに気を配らなければならなかった。桜の花びらと潮と汚泥とミミズのにおいが鼻をついた。一歩踏み出すと、長靴の下で分厚い層になったピンク色の花びら
がぬめりと滑った。まるで未来を暗示しているかのようだった。
水路は途中でL字型に曲がり、それから直線になった。頭上には青い深い空があって、普段よりも遠くに見えた。振り向くと、玲奈の姿は角に隠れて見えず、灰色の壁に覆われた中を筧は独りで進んだ。すぐ目の前に黒い穴が迫っていた。地下水路の入り口だ。水はここにもなかった。では、どこに消えたのだ?
まもなく、筧の体は闇に包まれた。
ヘルメットライトの光芒があたりを照らした。原因究明まで時間がかかるだろうか。筧は足元に注意しながら、水のない通路を進んだ。闇の奥から、水の流れる音が聞こえる。
もし、水が流れてきたら……恐ろしい予感がよぎった時、水の消えた原因があっさりと判明した。強力なライトは、大きな亀裂を照らしていた。水は亀裂に吸い込まれるように流れ、勢いよく飛沫を散らしている。
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