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 東町一帯は膝の下あたりまで冠水していた。周囲の建物の壁や戸口も濁った水に洗われている。  パトカーや消防車がサイレンを鳴らし、泥水を跳ね飛ばしながら走行していった。  はだしになった住人たちが途方に暮れたようにバケツやシャベルで水をかきだしている。  問題は、東町の地形がすり鉢状になっていることだ。当然ながら水は低い方へ低い方へと流れていく。水がどこから溢れているかを突き止めるよりも、貯まっていく水を処理する方が先決だった。筧は作業用四駆のハンドルを握り直し、冠水した道路を慎重に進んでいった。  排水機場は、すり鉢状になった地形の底にあった。通常は無人だが、悪天候などが予想されると予め係官が待機するが、今回のように突発的な冠水が発生すると担当地区の人間が処置する決まりになっていた。  運転室に入るなり、佐藤玲奈は分電盤のスイッチを手際よく入れていく。排水ポンプの駆動音が低くうなりだした。 「5、4、3、2……」玲奈は計器盤の目盛の動きを追いながら、ゆっくりとカウントダウンを始めた。「排水ポンプ、稼働開始」  けたたましいサイレンが響き渡り、高さ5メートルの巨大な達磨型排水ポンプが耳をつんざく轟音を発した。  敷地内には25メートルプールに似た貯水槽があり、ここに雨水や水田の排水が集まる仕組みになっている。排水量は毎秒60トン、貯水槽をわずか6秒で空っぽにできる能力を持つ。ポンプから汲み上げた汚水は直径2メートルのパイプを通って河川に流される仕組みだった。  玲奈がポンプを操作している間、筧はポンプ室の外でドローンを飛ばし、送られてくる画像をチェックしていった。水の噴出している大元が必ずあるはずだった。水道管破裂、蓋の飛んだマンホール、河川の氾濫……河川の氾濫は、上流の山岳地帯の驟雨で急激な増水もありえる。ダムの放流もある。  しかし、送られてくる画像にはいずれも該当する場所はなかった。  と、なればだ。筧は胸の中でつぶやいた。  筧は、六目水路の上空へドローンを移動させた。禁忌桜の真上にドローンが到着すると、また新たな画像が送られてきた。真上から見る禁忌桜は、大きな鳥が羽を休めているかのようにふんわりとしていた。  筧はまゆをひそめた。禁忌桜のまわりの地面が脈打つように動いているように見えたからだ。桜の幹の根本から放射状に伸びている影のようなモノ。筧はそれが何に似ているか、すぐに思いついた。蜘蛛の巣だ。禁忌桜は大きな鳥なんかではなく、薄紅色をした巨大な蜘蛛にそっくりだった。地上にいたら決してわからなかっただろうが、上空からならはっきりとわかる。あれは蜘蛛だ。で、糸は?  筧は、ありえない仮説にたどりつき、うろたえた。桜が伸ばしているのは糸ではなくだ。あのが水路の水を吸い上げているとしたら? 吸い上げた水が飽和状態になり、その水をどこかで放出しているとしたら。筧は笑った。馬鹿な。俺は何を考えている?  その時、桜の木陰から人が現れた。  画像を拡大する。狭原美穂子だ。彼女は空を見上げた。ドローンに気が付いたのか、手を振った。
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