最後のキスをあなたに

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何事にも決められた数があるという。 大好きな作家さんのお話で、主人公が好みの子にキスを何度もせがむけれど、なかなか相手にしてもらえず、弟とはすぐにキスするその子に、キスは減るんだから簡単にしちゃだめなんだって、やきもちを焼いて言うセリフがあった。キスが減るだなんて面白いなと思った。 人生においては、細胞分裂に限度数があるといわれているように、確かに回数が決まっているものがあるらしい。 だとしたら、もしかしたらキスにだってあってもおかしくないのかもしれないと、そのお話を読んでそんなことを考えた。 私と彼とはさほど長く無い付き合いだけれど、数えきれないほどたくさんのキスをした。彼と会える時には、私達は殆どいつもキスを交わした。 それはまるで子供のお菓子についてくるおもちゃのおまけのように、いつも必ずセットだった。 彼と出会うまで自分がこんなにキスをする人間だなんて全く知らなかった。 最初のキスは今でもやっぱり強く記憶に残っているけれど、彼とキスする度にその数を数えていたら、そう時間が経たないうちにそれがいくつめのキスだったのかをも忘れていくほどたくさんのキスをしていった。 彼の柔らかくて甘いはちみつのような唇の心地良さを、私がひとり占めできることがとても幸せだった。優しいキスや甘いキス、うっとりするキス、そうやって色んなキスをするうちに私の中のキスの定義や感覚が塗り替えられて行った。 こんなにいっぱいキスをしていたら・・・あの話の様に、もし、生涯ですることができるキスの数に限りがあるとしたら、私のキスの残数がどんどん減っていってしまってるんじゃないかと面白く思いながらも、私達はたくさんのキスをした。 今日、私は彼と別れることを決めた。 表向きの理由はマイペースな彼と、なにかと決まりを守ろうとする私の性格が合わないからだ。 でも本当の大きな理由はもっと他にある。 だけど、それを正直に話したところで彼はきっと努力すると言ってくれるだろうと分かっているし、それでもきっとその努力ではこれからやってくるであろう困難を乗り越えられないだろうと分かっているから・・・私の面倒な事情に彼のこれからの人生を巻き込みたくなくて、私はこの本当の理由を一切伝えないと心に決めたのだ。 彼を呼び出して、二人で顔を合わせて、私は決めてあった別れの言葉を告げる。 彼の、その子犬の様な可愛い瞳で切なそうに見られると、本当にこの人から離れて私はやっていけるんだろうかと不安になって、別れを撤回できたらいいのにと思うほどに苦しかった。 それでもこの先、私が直面していくことで、彼との付き合いが上手くいかなくなるであろうことはすぐに想像できるから、私は心が動揺しているのを気づかれないように感情を殺して、冷ややかな表情を必死に保ちながら、別れる決心は変わらないからと言葉を繰り返した。 きっと予想もしなかった別れを告げられて戸惑う彼の顔を見ながら、 この人はなんて可愛いんだろう、と私は思っていた。 付き合い始めた頃から、「そんなに見られたら穴が開いちゃうよ」と相手がふざけて恥ずかしそうに冗談を言うほどに、何度となくじっくり見つめてきた彼の顔をじっと見つめながら、心の中では顔に出している冷たい表情とは裏腹にそんなことを思っていた。 こんな場面なのにそんなことを考えるなんて、私はやっぱり彼が好きなんだなと思った。 絶対に本心は知られてはいけない。知られたらきっと別れを受け入れてもらえないから。 どれだけ私に彼が好きな気持ちがあろうとも、これ以上はどうにもできない、話し合う余地がないと、私はもうそれ以上何も言うことはできなかった。 私は静かに彼を抱きしめて、その柔らかな瞼と頬に、そして綺麗な首筋にキスをした。 唇にはしてはいけないと思ったのだ。 別れを決めた私がしていいことじゃない、と。 この私の行動がきっと彼を戸惑わせると分かっているけれど、 それでもどうしても気持ちを伝えたくて、我慢できずに自分の想いを託すように最後のキスをした。 少しでもほんのかけらでもいいから、私の本当の気持ちが伝わっただろうか。 彼への最後のキスがまさかこんな風になるなんて思いもしなかった。 これから月日が流れてもう彼と二度と会うことがなくなったとしても、 彼が他の人と当たり前の様にキスをするようになったとしても、このキスを覚えていてくれるだろか?ふとした瞬間に思い出してくれることはあるだろうか。 彼の頭のどこかにこの記憶が残るとしたら、それだけで嬉しい、私は心からそう思った。
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