恋の賞味期限

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恋の賞味期限

「今日、疲れてるからさ……」  そうかったるそうに呟くと、陽貴(はるき)は布団を頭から被り、背を向けて眠ってしまった。 (……)  恋が冷める瞬間とは、人によってそれぞれだろう。  私のそれは「拒絶」された時だ。きっと様々な理由があり、人は人を拒絶するのだろう。  私だって、嫌なもの、嫌な事は拒絶する。ただ人にそれをされた時、ああ、この人にとって自分は「必要の無いもの」なんだと感じ、虚しさと悲しさが襲ってくるのだ。  その時ブチっと自分の中で何かが切れる。それはその相手との間にある、繋がりなのかもしれない。 (……潮時かな……)  陽貴のボサボサの髪が布団からはみ出ている。以前はそれすらも愛おしく感じたものだが、今は何も感じない。  出会った頃は、姿を見かけるだけで嬉しかったのに。声を掛けられるだけでドキドキしたのに。 (……何の為に、部屋呼んだんだよ。私は家政婦じゃないっていうの!……疲れてるって、何さ)  その疲れている理由も、大体見当が付く。 (浮気なら、複数人相手にする体力と甲斐性身に付けてからにしろっての!)  したい気分になった時にセックスも出来ない間柄なんて、付き合ってる意味なんかないではないか。拒絶されたのは今回で三度目だ。 (……別れたいなら、別れたいって、言えばいいのに……)  布団に包まり寝息を立てている自分の恋人だった男を、未緒(みお)は暫く眺めていた。  どんな生ものにも賞味期限があるように、恋にも賞味期限があると聞いた事がある。  その期限は最大「二年」らしい。  二年以上も続いてる恋人たちの間にあるものは、もう既に「恋」ではないという。  いつの間にか愛に変わっていたり、友情に変わっていたり、惰性に変わっていたりするのだ。  中でも「愛」はただ降り注ぐものではなく、育てていかなければならないもので、育てる努力が必要だという。  悲しいが、その愛を育てる為の努力を、この男の為にする気になれなかった。それだけの事だと未緒は思った。  ベッドの向こうのカーテンの隙間から、窓の外が覗いている。  まだ暗いーー  でもーー  未緒は徐に立ち上がった。 ***  未緒はなるべく音を立てないように、陽貴の部屋にあった自分の私物を大きなビニール袋に詰めていった。同棲していたわけではないので、そんなに自分のものがあった訳ではない。  着替え用の部屋着や下着、気に入っていたバスタオルやクッション、小さなサボテン、マグカップ、歯ブラシなどの日用品、一緒にやる為に持ってきたゲームなどなど。  些細なものたちだったが、それを手に取ってみると、持ってきた当時の事が思い出され懐かしくなって、未緒は自然と笑みが溢れてきた。  不思議と楽しかった時の事ばかり思い出させるのだ。人の脳とは大変うまく出来ていると、未緒は可笑しくなってきた。    ただその微笑みは、陽貴の寝息だけが響く、空虚な部屋の空気に溶けていった。  いつまでも未練たらしくしがみつき、手放したくなかったものは、案外大したものではなかったのではと、袋に詰められた私物を眺めながら、未緒は思った。  捨ててみたら、古着を脱ぎ捨てた様に妙に清々しい気持ちになっていた。 ***  未緒は薄手のコートを羽織ると、ポケットから合鍵を出し、部屋の中央にあるガラスのローテーブルの上にそっと置いた。  未緒は私物の入ったビニール袋を担ぎ、手持ちの鞄を持つと、玄関のドアを開いた。 「……じゃあね、サヨナラ」 ***  未緒は陽貴のアパートの外階段を降りながら、スマホを取り出した。未緒は陽貴のアドレスをブロックし、電話帳から陽貴のデータを削除すると、一緒に撮った今までの思い出の詰まった写真フォルダも一括削除した。  不思議と躊躇する気持ちは無かった。  物悲しくはあったが、つっかえていた何かがスルンと外れた様に、途端に心が軽くなった気がした。  心が軽くなると、体も軽くなって来た。未緒はスキップで、夜道を進んだ。誰かに見られでもしたら、相当頭のおかしい女に映るだろう。  でも、それでもいい。  そんな事、気にならないくらいに気分が良いのだ。  気がつけば目の前に広がる空が、白けて来ていた。その空に、小さな白桃の花びらがふわりとカットインしてくる。  その花びらの流れて来た方向を見ると、白い花びらを携えた桜の木が目に入った。  未緒は嬉しくなって、その桜の木に向かって走り出した。 *** (……キレイ……)  薄く明るくなって来た青白い空の元、白く輝く桜の木は何とも幻想的だった。 「……“春はあけぼの”とは、よく言ったもんだわ」  暫くすれば、空はもっと明るくなるだろうし、桜も後数日経てば、散ってしまうだろう。 ーー夜明けに映える満開の桜、刹那の瞬間  あっという間に終わっていくから、儚くて美しいのだと、未緒は改めて思った。  “恋”も永遠でないからこそ、きっと美しいのだ。   おわり
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