最終章:北風が吹き、太陽は輝く

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「真白」  声をかけると真白はちらりと視線をなげて、すぐにスマホに戻してしまった。そのまま緋色は真白に近づいた。 「あのさ、本のことなんだけど」 「うん」 「好評みたいで」 「らしいね」 「真白のおかげだよ、ありがとう」 「どういたしまして」  スマホを見つめたまま、真白は相槌だけを返してくる。久しぶりに二人だというのに、何を話していいかわからない。 「撮影どうだった? 疑似セックスしたんでしょ」 「え?」 「この女の人を抱いてるみたいにみえる。こんな顔できるんだね、緋色」 「いや、それは……」 「僕は、喘いでる緋色しか知らないからね」 「や、やめろよ」 「……嫉妬した」 「へ?」 「こんな顔できるんじゃんって」  真白が初めて緋色の顔を見た。その顔は表情ひとつ崩れていなかった。 「まぁ、童貞でもこの分なら女も抱けるよ、きっと」 「お、おい真白」 「蒼待ってるから行こう」 「あれ、真白なんだ」  思わず口に出ていた。 「は?」 「だから、あの撮影のときイメージしたのは俺を抱いてるときの真白で……」 「僕?」 「だ、抱かれながら真白のことずっと見てて、こうなりたいっていうか」 「……」  撮影の間、真白のことを考えていた。真白が自分を抱くように、自分も相手の女性を抱いてみた。女性が恍惚な表情を見せたときも、きっと自分もこんな顔をしていたんだろうと。そして自分のように満たされた気持ちになっているのだろうと。 「別に誰かを抱きたいなんて、思わねーよ。俺」 「一生、童貞でいるつもり?」 「いや、それはわかんないけど。あの、真白がよければ」 「は?」 「まだ足らねぇっていうか、終わりにしたくないんだ!」  はっきりと口に出した声が思ったより大きくて、緋色は慌てて自分の口をおさえる。真白はぽかんとしていたが、すぐに吹き出した。 「なにそれ、勉強熱心なんだね、緋色って」 「ごめん、メーワクならいい」 「ひとつ、いいことを教えようか」 「何?」 「あの女より、緋色のほうが色っぽい」 「は、はぁっ?」 「ちなみに僕は演技指導してたつもりも、練習に付き合ってあげたつもりもないよ」 「は、何言って……」 「緋色を抱いてみたかったから、利用した。それだけ」 「へ?」  きっと自分は最高にマヌケな顔をしていたと思う。 「だから、これから先、練習相手になるつもりはないから」 「あ、えっと……」 「緋色が僕に抱かれたいっていうなら、続けてもいいけど。どうする?」  言葉が出なかった。いろんな事実が一気に流れ込んでパニックしている。抱いてみたかった、というのは、どういう風に受け止めればいいのだろうか。けれど、緋色の中で答えは出ていた。 「……抱かれたいです」  そうだった。真白はこうやって言わないとしてくれないんだ。 「いいこだね、緋色」  真白の優しい手が緋色の頭を撫でる。ぞくぞくとする。久しぶりに真白と触れて、体中に電流が走ったみたいに甘くしびれる。 「三人でいるときはちゃんとトリコロールしよう」 「お、おう」 「二人のときは、ね。僕、緋色にしたいこと、まだたくさんあるんだ」  そう呟いた真白の顔は、自分を組み敷いたときの獣の顔で、緋色しか知らない真白の顔。きっと自分もそうなのだろう。真白しか知らない自分の顔。  この気持ちを何と呼んでいいのか、わからないけど、これからも真白に触れて、触れられるなら、それでいい。  北風は力まかせに旅人のコートを脱がそうとした。太陽はただその陽射しを輝かせて、旅人は自らコートを脱がせた。  あきらかに有利と思われたその勝負。北風は太陽に敵わなかった。  太陽に惹かれたのは北風。けれど太陽はそれを知らないまま、今日も燦々と照らしている。 『知らなくたっていい』  冷たい風を吹かせることしか知らなかった北風は、太陽のおかげで優しくなれたのでした。  二人のエチュードは始まったばかり。 <北風と太陽のアンサンブルへ続く>
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