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 案内されたバーは迷路のように入り組んだ場所にあり『こんなところに店が!』と、成瀬は驚いた。  なんだかんだ言っても、東京の生活に馴染んでるんだな…… と、ドアを開ける塔矢の背中に呟き、中へ案内されて感嘆する。極限まで落とされた照明、揺れ動く無数のキャンドル、落ち着いたチェロの音色――― 男同士で来るにはロマンティック過ぎる空間に、成瀬は少しばかり緊張した。  バックバーに並んだボトルに圧倒されながら止まり木に腰掛け、差し出されたメニューに目を通す。『ここはウィスキー、特にスコッチが充実してる』と唸り、隣の塔矢に「いい店を知ってるんだな」と囁くと、当の本人は「まあね」と気のない返事。これだけ極上の酒が揃っている店を行きつけにしているくせに、言うことはそれだけ? と呆れていたら、カウンター越しにグラスを磨くマスターが微笑みながらこう言った。 「池田さんとのお付き合いは長いですが、いつも決まったものしか頼まれません。どうやら冒険するのがお好きじゃないようで」  なんて勿体ないことを…… と、成瀬は肩をすくめたのだが、何気なく客層を観察したときピンときた。店内の客は3組+2人で、全員男だ。もしかして、表向きは普通のバーだが、ゲイを対象とした店かもしれない――― そう考えた成瀬は、自分の性癖を見破られたのだろうか? と塔矢の様子を窺ったが、どうやらそうではない様子。周りの客は純粋に酒を楽しんでいる風だったので、気を取り直すとマスターに好みを伝えて銘柄を選んでもらった。 「クライヌリッシュでございます」  そう言って流れるような所作で置かれたグラスを手に取り、それを掲げて乾杯する。滑らかな口当たり、はちみつの様な甘み、その中にスパイシーさも見え隠れして ちょっと病みつきになるかも…… と、舌舐めずりしていたら、隣の塔矢が渋い顔でマッカランを口に含んでいる。その話しかけたくても寄せ付けない雰囲気に『何のために連れて来られたんだか』と、ふて腐れながらグラスを傾けていると、いきなり話しかけられた。 「退職を発表した時、しばらく口もきいてくれなかっただろう。あれってどうしてなの?」 「どうしてって…… 友人だと思っていたのに前もって教えてくれなかったから」 「それ、あからさまに避けらるほど酷いことだったのかな?」  池田の言い分はもっともだった。同僚に毛が生えた程度の関係なのに『前もって教えてくれなかった』とか『相談されなかった』と、へそを曲げるのは筋違いなこと。その根底には、自分に気があるからと所有物扱いしていたことが起因しており、思い上がりを恥じた成瀬は頭を下げた。 「ごめん、俺が勝手に拗ねただけ。池田さんは何も悪くないから許して欲しい」 「いや、おれが聞きたいのは拗ねた理由なんだ。それを教えてくれないか?」 「だから、友達だと思っていたのに何も相談してくれないから」  同じ言葉を繰り返す成瀬に溜息で答えた池田は、絞り出すような声でこう言った。 「君が親身になってくれるのは嬉しい。だけど、それが苦しいんだ」 「どうして……」 「期待しても報われないから」  そして、堰を切ったように吐露し始める。 「嫌われている自覚はあった。赴任して早々、きついことばかり言っていたから。それを何とかしたくて、病棟でちょっかいを出したり、『欠席』と嘘をついた飲み会に出て話しかけたり、同郷会に誘って隣を陣取ったり⋅⋅⋅⋅⋅⋅ そんなことをして気持ちを和らげる努力をした。そこまで君に執着した理由ってわかる?」  この時、成瀬は彼の苦しみの原因を理解していた。 ――― 俺が異性愛者のようにふるまったから 「君が好きだったから。期待しても仕方ないと諦めたのに、そうやって親身になってくれるから一縷の望みをかけてしまう。それが苦しくて しょうがない」  成瀬は塔矢の心を弄ぶようなことをしたことを反省した。今思うと、彼から厳しく接せられたことへの意趣返しもあったように思う。しかし、彼が性別の垣根を飛び越えて告白してくれたことに心が震えた成瀬は、自分の気持ちに素直に向き合うことにして秘密を打ち明けた。 「ごめん。俺、池田さんに嘘をついた」 「うそ?」 「彼女なんていない。生まれてこのかた付き合ったこともない。好きになったのは皆同性なんだ」
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