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 いよいよ出勤時間が迫り、成瀬はガスの元栓を閉め、戸締りをした。リビングには昨日と同じ格好をした塔矢がソファーでTVを観ており、その横顔に恐る恐る話しかける。 「一緒に出る? それとも別々に行く?」  その問いかけにムッとする塔矢。 「一緒に出て構わないけど。気を使わせて悪いな」 「わかった……」そう言って しょんぼりする成瀬を一瞥すると、塔矢は使い込んだリュックを片方の肩に担いで玄関へ向かう。  後に続いた成瀬は目の前の背中を見つめた。数時間前まで、あれに縋りついて女みたいな声を上げていた。 ――― 腕を伸ばせば触れることができるのに、今ではそれが難しい  自分が仕出かしてことを後悔しながら、玄関ドアに鍵をかける。そして、一連の動作を見守る視線に気づくと、振り返りざま微笑んだ。  彼に笑いかけるなんて、一度もしたことがなかった。病棟で そんなことをする理由なんてなかったし、同郷会や飲み会でも話につられて笑うことはあっても、彼の存在に笑みするような関係ではなかった。なのに、今こんなことをしたのは、媚びる気持ちと焦りと不安。失いかけている関係を何とかしたくて、愛想笑いをしたけれど、見つめ返す塔矢は無表情で……。落胆した成瀬はエレベータへ続く通路をトボトボと歩いた。  そういえば、来週は彼の送別会。そして、翌日には彼の姿は病院から消える。そうしたら、あの白衣に包まれた逞しい姿や後輩を指導する低い声、彼が漂わせる威圧的な空気に触れることがなくなり、そのうち逢うことは おろか連絡も途絶えがちに。そして、二人の関係は自然消滅へと向かっていくのだろう――― そう思ったら居ても立ってもいられず、衝動的に思いついた打開策を口走っていた。 「俺、携帯買うわ」 「はい?」  いきなりの提案に、塔矢は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になったが、それに構わず勢いに任せてしゃべり続ける。 「来週の送別会でアドレス交換しよう。で、よかったら時々メールしてもいい?」 「……」 「駄目? 迷惑?」  成瀬の切羽詰まった提案に、塔矢は静かに息を吐いた後「構わない……」と呟いたのだった。
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