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患者の主治医が到着する。少しばかり緊張している彼を後押しするように、血管を確保し、酸素を投与し、心電図モニターを装着する。点滴を全開で落とし、酸素を10ℓ流していくと血圧が徐々に上昇し、意識も戻ってきた。当初からモニターに異常は見られず、呼吸もしっかりしてきたため『峠は越したようだ』と安堵した成瀬が廊下で物品の片づけを行っていたら「大丈夫?」と後ろから声を掛けられた。塔矢だった。
「意識が戻ったから、一応一安心だな」
「俺、ここへきて8年経つけど造影剤のアナフィラキシーショックを見たのは初めてだ」
「自分もそうだけど、そこまで重篤にならずに良かったよ」
「遠目で見てたけど、お前慣れてるな」
「これまで経験してきたから」
「整形って、オペ後の患者さんは多いけど急変ってほとんどないから対応に躊躇するんだよね。やっぱスキルが高い看護師の存在って心強い」
それを聞いた成瀬は作業の手を止めて呆れた表情で塔矢を見つめた。
「どの口が言うんだか」
「はい?」
「お前、俺がここに来た当初『包帯もろくに巻けない無能なやつ』って罵っただろ。あれ、一生忘れないからな」
成瀬から睨まれた塔矢は目じりを下げて困った表情をしたが、瞳の奥では優しい光を放っていた。
「あれ、半分からかって言っただけ。決して本心じゃない」
「お前の辛辣な物言いで、どんだけ傷ついたことか」
「悪い、悪い」そう謝りつつ、塔矢は成瀬のある部分に目を止めると「あ……」と小さな声を上げた。
「…… 御免。それが終わったら、すぐ鏡を見た方がいい」
そして「ここ……」と成瀬の首元を指すと、
「ヤバイことになってる」
そう言い残すと、彼はそそくさと立ち去って行った。
心当たりのある成瀬は、片づけもそこそこに処置室の鏡の前に駆け寄った。そして、指された箇所に目を凝らすと『あ~~~っ』と声にならない叫びを上げていた。白衣の襟元、そこには動いたときに見え隠れする内出血斑があって……。つまり、彼が昨晩残した愛の痕跡が刻まれていたのである。
――― どうりで、主治医の目線がおかしかったわけだ
患者の状態が落ち着き、その後の指示を出すため話しかけてきたドクターの視線がチラッチラッとそこに注がれていたこと思い出した成瀬は、彼が変な噂をたてないことを祈りつつ、包交車の引き出しから絆創膏を盗んでくると、人知れず張り付けたのだった。
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