3 悩

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3 悩

 女性用の尿瓶を看護婦に宛がわれ、排尿する。音はするので円城寺刑事はそれを聞いただろうが、わたしに気恥ずかしさが生じない。意外な事の展開で精神が麻痺してしまったようだ。それとも刑事だったという、わたしの元々の性格なのだろうか。  排尿が終わり、看護婦に後始末をしてもらい、また拘束状態に戻る。そういえばお腹も空いている。わたしは何て図太い女なのだろう。それとも男女に限らず、サイコパスはみな同様に感じるものなのだろうか。 「お腹が空いた」  隠しても仕方がないので口にする。 「昼食まで、まだ時間があります」  看護婦が言い、 「食べさせても構わないなら、オレが何か買って来て喰わせます」  円城寺刑事が看護婦に問う。 「食事制限されている患者さんではありませんから……」 「では食べさせても構わないと……」 「ええ……」 「では、わたしが食事を買いに此処を離れている間、くれぐれも、この患者のベッドには近づかないように……」 「わかりました。ナースステーションに戻ります」 「そうしてください」  円城寺刑事の言葉を受け、看護婦がわたしのベッドサイドから去る。 「わたしは怪物か」 「四人も殺しているんだからそうだろう」 「本当に、わたしが殺したのか」 「記憶が戻れば思い出すさ」  ついで円城寺刑事が何かについて考えこむような仕種を垣間見せ、 「では、パンでも買って来よう」  何事もなかったようにベッドを離れる。カーテンも閉められる。部屋の中に他の人間はいない。  短い今の状況下で、わたしにわかった限り、病室には六床あるようだ。ベッドにいるのは、わたしだけだが……。入口は開放されている。が、拘束状態のわたしに脱出は不可能だ。いや、円城寺刑事によれば、以前はできたらしいからできるのかもしれない。現時点で、まったく方法が思いつかないが……。  記憶がなくても殺人罪は成立するのだろうか。いや、記憶はある。わたしの身体に記憶がある。けれども、これは本物なのか。仮に偽物だったとしたら、いったいどうやって、わたしの中に埋め込まれたのか。まるで想像がつかない。調べようにも、今のわたしには自由がない。  いずれ、絞首刑になり、死んでしまうのだろうか。それとも無期懲役で生き延びるか。記憶が戻らないままで……。 「ほら、買ってきてやったよ。喰いな」  わたしが思い悩んでいる間に円城寺刑事が戻って来る。コンビニの袋を手に提げて……。 「一人じゃ食べられない」  わたしが訴え、 「手間のかかる殺人犯だな」  円城寺刑事が答える。 「好みを聞かずに買いに行ったが、これでいいだろう」  照り焼きチキンの挟まったハンドウィッチを、わたしに差し出す。 「わたしは前にそれが食べたい、と言ったのか」 「ご名答……」 「安い女だな」 「文句を言わずに、さあ、喰え」  円城寺刑事がわたしの口にサンドウィッチを押し込む。チキンの汁が垂れそうになると器用に拭き取る。 「介護経験者なのか」  半回転するストローから麦茶を飲ましてもらった後で、わたしが言う。 「親は元気だよ」 「わたしで慣れたか」 「刑事と犯人として、そんなに長い付き合いじゃない」 「わたしはいつ捕まったんだ」 「約一月間前だ」 「比較的ホヤホヤだな」 「発作を起こして倒れていた」 「被害者の近くか」 「そうだ」 「それで、わたしを殺人犯と……」 「そのときはまだ容疑者だ。まあ、今でも容疑者だが……」 「手にはナイフを持っていたのか」 「おや、まさか、記憶を取り戻したか」 「単なる推理だ。いくら刑事でも、女の手で簡単に人は殺せない」 「しかし鈍器とは言わなかった」 「最初に思いついたのがナイフだっただけだ」 「怪しいな。一部の記憶が蘇ったのかもしれない」 「では実際に犯人はナイフで刺されていたのか」 「食事中にする話じゃない」 「わかった。では先に食事を済ませる」  そう宣言するわたしを、まるで奇妙な生き物のように円城寺刑事が見つめる。
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