最後の言葉

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「優子の出発前倒しになったんだって。3月30日だとさ」  母が言う。 「そうなんだ」と僕は言った。  思ったよりも乾いた声に聞こえた。 「寂しくなっちゃうねえ」  もうこれで何度目だろう。  母はしんみりと言う。 「あの優子がねえ」  寂しいねえ、と母は食べ終わった食器を僕の分も合わせて台所へ持っていく。  母からすれば初めての孫で僕からすれば姪にあたる。  僕の姉の子どもで、20歳に優子を産んだ。  僕と姉は7歳差だから、僕が13歳ですでに叔父さんなったわけだ。  当時中学生だった僕は親族的な意味合いを持つ叔父さんというものを知らないものだから「今日からあんたは叔父さんになるんだよ」と母に言われた時、あんまりいい気持ちはしなかった。  僕の中のおじさんは、無精髭を生やして、ヨレヨレのシャツを着ていて、腹が少し出ていて、いつも汗をかいている。そんなイメージだった。優子が産まれることで僕はそうなってしまうんじゃないかと思ったのだ。  だけど産まれたてほやほやの優子を見ているとそんな嫌な考えもすぐに吹き飛んだ。  それに僕は末っ子で、妹が弟がほしかったらちょうどよかったなんて都合のいいことばかり考えていた。  優子の父親は職業柄地方出張が多くて、ほとんど家にいることはなかったし、姉も実家で子育てをしていたものだから、必然的に優子の成長を身近で見ていた。  それこそ兄のように。  優子は控えめに言って、かなり情緒が激しかった。  今なら子どもだから情緒が激しいのは当然と言えるけれど、その時はもう手に負えないくらい、家族みんなが優子のエネルギーを持て余していた。  例えば、デパートなどにあるキッズスペース。  優子はそれが大好きで、一度足を踏み入ると永遠に遊んでいる。出ようとすると大声で泣き喚き、大暴れした。  なので、優子がいる時はキッズスペースを目に入れないようにしていた。どうしても横切らないといけないときは、家族の誰かが優子からキッズスペースが見えないように壁になり、ばれずに通り過ぎることができたら安堵のため息をついていた。  優子が小学生3年生頃に僕が実家を出た。  地方の学校に進学することになったのだ。  空港で優子から手紙をもらった。 『早く帰ってきて、いっしょに遊ぼうね』  そう書かれていたのは今でも覚えている。  4年間通っていたけれど、長期休みは帰省して、また地方に戻るということを繰り返していた。  その別れのたびに優子は僕に手紙を渡してくれていた。  今でも僕はその手紙を大事に取っておいてある。  僕が実家に戻ってきた頃には優子は中学生になっていた。  それから1年くらいは実家から仕事に通っていた。  この1年は優子とは長い時間を過ごした気がする。  優子も昔と比べるとずいぶんと落ち着いてた。夜明けまで一緒にゲームをしたり、優子がハマってた女児向けカードゲームにハマったり(明らかに小学生向けではあったけど優子は小学生に交じってゲームをしていた)、気がつくと僕にとって友人とも言える存在となっていた。  そんな中僕は職場で知り合った女性に恋をして、幸運なことに交際が始まった。  そして半ば衝動的にその人と同棲を始めた。  僕にこんな行動力があるんだと驚くほどだった。  その時、優子はどうしていたんだろうと思う。  僕は相手に夢中で覚えてないんだけど、何故だかそう考えると心の奥に冷たい水が流れるような感覚になった。  優子にとって僕が実家を出るとはどういうことだったんだろう、と何故か今そう考える。  優子が地元を発つと知り、気軽には会えない距離に行くことになり、僕は考える。  あの時、優子は何かを思ったんだろうか。  何も考えていないようで、だけど何かは感じたのだろうか。  今僕がそう感じているように。  優子がここを発つ日は仕事が入っている。  休みをもらおうかとも考えたがやめた。  僕は苦手なのかもしれない。  別れというものが。  見送ることで、その別れが強調されるようで。  実際はそんなことないのに。  もしかするとこの先、見送らなかったことを後悔する日が来るかもしれないのに。  そうだとしても、僕は別れを意識したくなかった。  だから、あえて優子に会うということはしないでおこうと思った。それが正当化だとしてもいい。 「寂しくなるね」  僕は答える。  しかし母は何も言わなかった。  食器を洗う音で僕の声がかき消されたのかもしれない。  寂しくなるね。  僕は知っている。  最後の言葉を交わすのはもっとずっと先でいいのだ。
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